tanpa

社会人ちゃんの日記

存在することによる不断の抗議

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

かれこれ十年以上、Twitterで趣味の旅行の記録や二次創作をし、日記をつけている状態にある。

一方で、昨今Twitter社自体の経営不振や、イーロン・マスクによる買収および諸々の経営改革*1がトレンドに乗る度、恒久的なTwitterサーバーのダウン、つまりTwitterのサービス終了がオタクのタイムライン上でまことしやかに囁かれますが、こういったことが万一起こったが最後、同時に人生の大部分のログが消滅することになるということです*2

このブログについて - tanpa より

 

「このブログ」を書く理由としては、以上の引用の通りです。

 

「今、何してる?」のフレーズに踊らされ、「なう」をツイートし続けるような人生を延々と送っていたために、今後かつてのTwitter社の成り行きによっては、これまで10年近く溜めていた人生の記憶が文字通り喪われてしまう。これを避けるために、ある程度生活に関連する事柄をTwitter外に書き留めることにした。つまり「ブログを書く理由」としては、「備忘」がひとつにあると思う。

 

 

例えば、Twitterにこのツイートをしていることで、私は今自宅で使用している冷蔵庫の中が常温になってしまったことに気付いたのが今年の7月20日であることを思い出せますし、飲みさしのアイスコーヒーを冷蔵庫に入れたらにんにく臭くなったのが8月17日、練乳入りアイスが溶けたまま最早元の姿に戻らなくなったことを嘆いているのが8月23日であることを思い出せる。

 

そして今日9月14日、この頃の冷蔵庫はちゃんと冷えているので、かつての「冷蔵庫の中身が生ぬるい」という現象は夢だったんじゃないかと思いながら弁当に入れる具材にしている冷凍ブロッコリーを取りだしたら、緑の透明スライムの塊になっていた。一度完全に解凍したものが再凍結したのだろう。再凍結した冷凍ブロッコリーは、緑色のスライムになる。凍ってはいるがどういう訳かぬめって、手でちぎれない。あれは夢じゃなかった。

 

 

Twitterなりブログなりにこうしたことを記録していると、読み返しやすいし「何時のことだったか」を明確に思い出せる。これは病状を振り返る時も便利です。

 

tan8.hatenadiary.jp

 

また、文章を書くことで、当時の自分が感じていた強烈なストレスを整理し、自分が直面せざる得ない出来事をいくらか耐えられるものに加工することもある。

副産物である文章をブログに掲載すると、結果として「この時期本当に出勤が嫌で眠れていなかったんだな」とかいうことを後から俯瞰して備忘することもできるし、当時何を感じていたかをうっすらと思い出すこともできる。

 

ra927rita1.hatenablog.jp

 

私は自分の飼っていたハムスターが死んだ記事を見返すことで、当時感じていた悲しいというには身勝手だが怒りというにはどうしようもない、脳味噌を掻きむしられるような不快な気分だったことを思い出すこともできる。

 

文章を書くことで当時の自分はストレスを腑分けでき、その瞬間よりも後の自分は当時のことをより明確に振り返ることが出来る。Win-Winということです。

 

しかし、これを公開する必要がどこにある?

 

恥の多い生涯を送ってまいりました。

 

単純に「備忘」が唯一の目的であればそれこそチラシの裏にでも、より実用的に考えれば非公開アカウントにでも、プライベートブログにでもすればいいだろう。

全世界に公開するのであればもっと「これを書いたということはどう見られるということか」という視点を持つべきだ、と思う。

 

tan8.hatenadiary.jp

 

tan8.hatenadiary.jp

 

同人イベントに参加するぐらいなら南米にいった方が良いと高らかに記事にせず、表面上はもっと取り繕ってオタクと交流を取り結べるように努力をするべきだ。

趣味を媒介に交流する可能性を持つ存在、「界隈」とされるオタクの集団から「異常」として遠巻きにされるよりは、交流めいたものを持とうという姿勢を見せていた方が、そこから何らかの益を得られるかもしれない。

そのフィールドが学校であろうが仕事であろうか趣味であろうが、人間関係がある以上何らかの社会がそこに存在している。どうあってもそこに所属し続けるのであれば、大勢に追従して見せるような姿勢を取った方が何か益を得られるかもしれない。

イベントで拍手をするたびに始まったというワクワク感を心に持った方が良いのかもしれないし、イベントに行く人はお気をつけてというツイートをした方が良いのかもしれない。(任意のキャラクター)に関する新情報が出れば、自分が大して興味がない領域であろうと「(任意のキャラクター)推しの人良かったね! 可愛い💕」みたいなツイートをするべきなのかもしれない*1。模範囚の方がいくらか釈放が早くなる、みたいな。

 

勿論、ガチ恋粘着獣もかくやという有様を晒したことがある話は内輪ネタとしてはいいかもしれないが、文章という形でデジタルタトゥーにするべきではない。

成人になって漏らした話も、居酒屋なんかで口頭伝達するには話の種になるかもしれませんが、ネットで公開するべきではない。どうせ公開するならはてな匿名ダイアリーに書き付けることとし、表面上はもっと取り繕った顔をしているべきではないのか?

 

 

「存在するということは不断の抗議であり復讐である」というのを太宰の小説で見たことがあるような気もするし、ウェルベックの小説でも見たことがあるような気がする*2

この両者が書いたようなことが頭の中で混ざっているような気がするし、オタクという属性への蔑視が根強い時期に多感な時期を通過したものとして、この手の読書記録を晒している時点で、一種の社会的な烙印を抱えているようにも思う。

 

store.steampowered.com

 

しかし、ブログの記事を書き公開し続けること、二次創作小説を書き公開し続けること、あくまで生活を続けること、私はどれも似たような動機で行っており、それは抗議であり、一種の復讐のようなものです。

 

「自分が」どうあってもそう在ることの出来なかった諸々に対する抗議が祟って、生き恥を晒している。

 

同人イベントまで来ておいてオタクが多数交流している現場で透明人間のように存在し続ける空気に耐えられずブログを更新し続ける人間はいますし、冬至に漏らしている人間もいる。他人に年単位で粘着した挙句、友人の結婚式で対面することになる人間もいる。

 

他人がそれをどう受け取るかは他人の次第ですし、第一趣味で文字を追う人間ってそんなに多くないということは、二次創作同人小説という自己満足の極致のような烙印めいた趣味を続けていることで薄々理解しているので、ある程度お目こぼしを頂けませんかね、とも思っています。

見なかったことにして頂くのもいいでしょうし、何らかの糧にして下さればこれ以上はないことですし、特に漏らし記事なんかは、なんかもう、笑っていただければ本当にそれで十分。

 

それはそれとして、書く理由です。これを書き、ブログとして公開する理由は、存在することが抗議になると考えているから。どういった理由でブログを書いているんですか? 自分の存在によって、「何か」に抗議をするためです。

「書き手の皆さん本当に尊敬! 素敵な(任意のカップリング)本出してくれて感謝しかない✨ 感想後でお送りしますね!」という同人オタクのアカウントによる何かのツイートとか*3、「イベント最高! 参加者のオタクみんな美人で完全に擬態してたw *4」等、オフラインイベントをサイコーに楽しんだオタクの姿とか、「恋は楽しくていいものだし恋をすれば毎日が最高になる✨*5」という言説とか、あと、「大人になったらおしっこを漏らす筈がない*6」とか、そういう、少し考えればまるきり嘘だということがわかる主語のデカイ言説、殊更に流布しやすい「楽しさや美しさ」に関連づいた集団の記憶に対する、個人的な抗議のため。

 

*1:あまり関心を持っていないところにわざわざ口を出す有り様は不誠実だと思っているが、オタクとしては「自分は興味ないけど〇〇さんが好きだからこのキャラ描いてみた」がどれだけ有難いことかも理解している。この仕草の延長線上にあの行動があるということでしょうか?

*2:該当する箇所は以下と思われる。「僕はなぜ小説を書くのだらう。困つたことを言ひだしたものだ。仕方がない。思はせぶりみたいでいやではあるが、假に一言こたへて置かう。「復讐。」」(太宰治 道化の華(最終閲覧日2023年9月14日))および「「人生がおぞましいものになればなるほど、人はそれにしがみつこうとする。よって生きるということはつねにひとつの抗議であり、不断の復讐なのだ」(オノレ・ド・バルザック)」(ミシェル・ウェルベック著、中村佳子訳『プラットフォーム』河出文庫 エピグラフ

*3:「後で感想を送ります!」と書き残して消息が途絶えるケースを数回見ている。しかし、そもそも手に取られない確率が高い小説同人誌でメールフォームにメッセージが入る段階まで来たことを喜ぶべき案件であるという理解はしている。

*4:これは「オタク」が蔑称と同義語であった時代を過ごした人間に見られる仕草だと思う。最近オタクになった人間にも、こういった仕草は見られるのでしょうか?

*5:個人差がある。「恋」という心理現象を養分にして美貌に磨きをかける人間もいるだろう。

*6:大人になったらおしっこを漏らす(ことを公言する)筈がないだろうという点では正しい。そう在るべきだ。失禁に何らメリットはない。