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社会人ちゃんの日記

2022年、短歌を買った。

 

はてなブログのお題(「今年買って良かったものは何か」)という趣旨で日記を書いていたところ、本文を漫然と書き進めている内にお題が切り替わった。

従前Twitterで垂れ流していた「今日の生き恥他」の連投ツイートを漫然と連ねていくと、ブログの記事になる。

 

一方で、そこには「これは日記か?」という疑問も残る。

日記やツイートというものはもっと即時的な、

「今日は紹介状を持って総合病院に行き、午前中二時間強を処置室前のベンチで待ちながらブログ記事を書いていた。診察は5分で終わった。医師からは、かかりつけ医に言われたことと同じことを言われた。以上。」

みたいなことを書き連ねていく、いわば自分の行動記録のようなものではないのか。私の持っている日記イメージはこれです。

じゃあ、これは何? 独自の柄のデジタルタトゥーかもしれません。生き恥模様。

 

 

 


 

 


2022年、短歌を買った。

直近では在宅労働のために私費でモニターを買った。

インチという単位のことがよくわからない(なぜメートル単位が使われないのか)から適当に買ったら、ど迫力の大画面でエクセルシートを見つめることになった。

自宅にあるテーブルは一つきりで、私はこの薄っぺらい机で業務に従事する他、食事もしている。つまりどういうことかというと、業務を終わらせるたびに、このど迫力大画面モニターを他所に撤去しないといけないということです。

一旦、モニターを床に置いている。トイレに行くときは、モニターを跨いで避けながら歩いている。

 

家具を買うにあたって大きさを測らない(勘で買う)し、よしんば大きさを測ったとしても、設置予定地のサイズと比較をしない(謎の自信にみなぎっており、フィーリングで買う)ので、「これを買ってよかった!」と思うことがあまりない。大体失敗してる。お買い物は物理の世界なので、まず部屋のあらゆる大きさを把握するところから始めるべきです。

 

そんな感じで空間認識能力がバグり続けてるここ一年で、買って一番良かったものは短歌。

短歌は事前にサイズを測らなくても良いし、便箋サイズで来るので収納もききます。オーダーメイドなので、結局どの色を買うべきなのかも大して悩まない(毎回後悔する)。サイズを間違えて買って、結局用をなさないということもない(バランスボールのサイズを間違えて購入し、椅子として使えなかった)。

 

kino112.thebase.in

 

ここで私のお題に沿った短歌を作成いただく権利を買い、別途メールで短歌のお題を贈った。

 

購入に至る背景

わたしは「親に学費を出して頂き、設立して間もない中高一貫私立の自称進学校に通わせて頂いていた」というと、一部の人間はだいたい察してくれると思いますが、要は「6年間予備校に通って、大学受験に出題される科目のみを学び、大学受験の過去問を解いていた」ということを意味します(学校によります)。

私が学生だった当時の受験には詩歌は出題されなかったので、高校卒業時点で、短歌については本当に何も知らなかった。

現代文の教科書に、なんか詩歌って有名どころは多少載ってるらしいんですけど*1、これをすっ飛ばして評論文の「発展問題」を解くことになっていた。勿論大学の過去問である。

歴史系課目で、四択問題に出題されるような有名詩人の名前は、呪文のようにして覚えた。当然、その作品に触れることはない。そこは大学入試の出題では問われない。大学に入ってから好きなようにやれということだろう。しかも私は世界史選択だったので、覚えている面子といったらラマルティー*2バイロン*3だし、これらの面子はなんだか「政治史のついで」に暗記している名前っぽさがある。

古典の授業では流石に詩歌に触れる。枕詞とか、掛詞とか。あとは百人一首をいくつか。おわり。

 

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詩歌の入口は、二次創作同人誌。まだあげ初めし前髪の……*4さえ、オタクの二次創作で知った。

与謝野晶子リグ・ヴェーダ。名前だけはまあ知っていますが、内訳を知らないし触れようとも思っていなかったものを、二次創作同人誌のエピグラフ*5で知った。なんだあれ、かっけ~~。自分で同人誌を作る時も、なんかカッコいいエピグラフを付けたかったので、引用できそうな詩歌や聖書の文言等をネット検索していくつか学んだ。

あとはオタクのお友達が貸してくれた漫画や、オタクのフォロワーがリツイートで回してくる現代短歌botで、カッコいい言葉の並びを知った。

 


 

 

こうして歪ながら教養というものを身に着け、短歌を注文するまでになりましたがじゃあ何を頼んだかというと、何を頼んだんだ? 何だあれは。妄執?

 

あれは私の親になってくれるかもしれない存在ですよ

高校の同期に、人の話を聞くのが上手いというか人が良いのか、それとも押しが弱いのか他人に興味がないのか、なんかいつまでも人の話を聞き続けるタイプの人間がおり、私はそいつにめちゃめちゃ粘着していた。だって、私の親になってくれるかもしれない人間ですよ!? 

 

決して親からの愛情に飢えているというわけではなく、健やかに育てられたし育った子供ですが、Instagramで見かけるような白い歯の眩しい西洋の家族というよりは、儒教とか封建とかいう感じなので、マミィ!と笑いながら走って、親にしがみつく感じではない。

どちらかというと、親の顔色の潮目を窺い、ここぞという時に話を通しに行き、これはという時には財布か携帯、時にその両方を持って、目的無く近所を徘徊するか、イヤホンを耳に詰める。適宜の根回しと相談、問題発生時に適切に気配を消しておくこと。業務が発生していないだけで、やってることは仕事に近い。

とはいえ家族の構成員なので、それは特別の問題が無ければ全員で食事を取るべきという行動規範がある。食事の時間は機嫌の潮目に関わらず発生するので、その間は問題が起こらないように息を殺している。

今思えばのびのびと育った子供だが、子供だった時分の主観では、あまりのびのびとした覚えがない。なので、今日あったことを人に話すことや、特段の詰めなくそれを受け入れられることに憧れていた。そうでなくとも、思春期の子供って親に今日あったこととか話さなくない? 

 

親ではない誰かに、「愛する子供」のように扱って欲しかった。

私が得た結論として「そんなもの」はどこにも存在し得ないのだが、まだ十数年しか生きていない時分だったので、どこかに「それ」がある筈だと信じており、そいつが「それ」に違いないと信じた。

頼む! 扶養してくれ! 

 

私の親になってくれるかもしれない存在に超粘着して、高校3年間を過ごした。

何とかして会話のチャンスを掴むだけでなく、どうにかして電話番号を入手し、鬼電とかしていた。これは本当に偶然ですが、今も勤務地が隣接している。世が世なら、一連の粘着に対して精神的苦痛から訴訟を起こされていそう。そしてこれ、今になって思い返すと、お前、本当に、よく学内に友達いたな……。

 


 

 

大妄執のあとしまつ

その高校の友達が近々結婚するとのことで式に呼んでくれましたが、同席者に親になってくれたかもしれない(と思い込んだ)存在も来るとのことだった。

親になってくれるかもしれないというのは私の極めて一方的な思い込みなので、相手には知ったこっちゃない話ですが、私は件の親候補と進路を違ったあとも全然連絡を取ろうとしていたし、全然無視される等していた*6

進路が違って連絡を取らなければ、当然疎遠になる。私は親候補のSNSを見たり時々本人を夢に見たりし、そうするたびにもう全然、俄然扶養してほしいという気持ちはあり続けた。

 

一方で、親になってほしい相手が、誰か子供のように扱える他人がほしいわけでもないことを理解できる程度に今の私は冷静ですし、何ならそいつに交際相手がいることも知っている。高校同期だった当日の花嫁が教えてくれたのだ。

「2歳年下の」といったのを「12歳年下の」と私は聞き間違え、エッそれは、相手いくつよ……というとんでもない勘違いをして話が終わったりしたが、もしかするとあれも、彼女が私のメンタルに気を使って話を終わらせてくれたのかもしれません。

 

しかし、結婚式の場で数年ぶりに対面してどうなるだろうか? 

相手には私を扶養してくれる気がないことは知っていますし、こちらとしても、脈がないところ累計5年近くかぶりつきで心臓マッサージしてるような状態だったところ、流石に冷静な思考を取り戻したというか冷静になったというか、そろそろこの腐乱どころか勝手に土に帰りつつあるようなお気持ちは、墓に入れてやったほうが良いんじゃないかというところにまで思い至っていた。

それに、大事な友達(親を得られる期待に狂った狂人と友人を続けてくれた得難い存在)の晴れ舞台であることに間違いない。そうでなくとも、他人の結婚式で場外乱闘をするのは良くない。

だが、どうだろうか。数年ぶりに対面して「お前あの時すごかったよな」みたいなこと言われたら、マジで、お前。扶養してくれ! 5年近く脈のないところに心臓マッサージしてるんだぞこちとら。扶養する気がないなら、せめて放っておいてくれ。こちとら異常なので、そこは全然まだ傷口。5年間という字面で想像される程、まだ癒えてない。

 

とはいえ、その一方で「かつての高校同期、その後の人生の絡みはなし」のメンツで会うと、かつて高校同期だった頃の話になるのは流れとして自然極まりない。

高校同期としての私は、世が世なら被告になってる粘着。何!?!?!?! 結婚式余興の演目、もしかして「断罪」でしょうか?

 

「招待状送っても嫌じゃない?」という事前確認の上に招待状をお送りいただいているので、これはもう行った方が良い(枯れ木も山の賑わい)と思うんですが、満を持して欠席したほうがいいかな。

 


www.youtube.com

 

という旨を短歌にして、まだ全然扶養されたい私の意識にとどめを刺してほしい」という依頼をしたところ、無事結婚式前に納品を頂いた。

 

私は短歌への感度が高くないため、納品物の初見時はそこまでピンと来ていなかったのだが、そうやって立派な墓石を置いたことによって頭の中で満足したものがあったらしく、不思議と夢にも見なくなった。

 

ただ、なんかこうなると、勤務地の近さがネックになってくる。

勤務先は異なるため別に顔を合わせるわけでもないが、物理的に隣接地。

「こいつは私の親になってくれるかもしれない」という期待を以て見ればこれは運命なんですけど、この驚異の妄執を鬼籍に入れてから見ると、何? 被告に有利な現実、作為の働きようがない単純な乱数、気持ち悪いタイプの偶然って、マジであるんだな。現実ってすご〜い

 

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今週のお題「日記の書き方」

*1:と親から聞いた。実際のところは知らない。世代によって差があるのかもしれない。

*2:フランスの詩人。1848年フランス二月革命後の臨時政府に参加

*3:イギリスの詩人。ギリシア独立戦争(1821~29)に自ら参加し現地で客死

*4:島崎藤村『初恋』

*5:本文の前に引用されている詩歌等の短文

*6:妥当であるし、当然である。本当に無視してくれて良かった。この手の「無から期待を見出している」人間は、下手に相手をしない方が良い(主観)。