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社会人ちゃんの日記

身に覚えのないサブスク(LINE MUSIC)の月次支払いが二年前からずっと引き落とされ続けてたのに、今の今まで気づかなかった! どうして?(原因と対策)

何だお前

 

前提

(たぶん)ソフトバンクユーザーである。

 

携帯電話料金を世帯主に依存していた頃、世帯主がソフトバンクユーザーだったので、世襲的にソフトバンクユーザーであり続けている。ソフトバンクユーザー二世。敢えて変更する理由がなかったので、そのまま。

ソフトバンクでは時々ソフトバンクからYモバイルへの乗り換え、またはその逆をやることで一定の割引が起こる怪現象が発生するので、たまたまそのタイミングでスマホを新しくしたくなった時はその波に乗っている。

なので、自分が今ソフトバンクユーザーなのか、Yモバイルユーザーなのかよくわからない。よくわからないが、まあ多分その辺。今さっき支払いを見ようとして使用したアプリはMy Softbankだったので、今はたぶんソフトバンクユーザーなんだと思う。

 

月々の携帯電話料金が定まりましたよという連絡があったのでMy Softbankを見て適当にポチポチと明細を確認したところ、謎の支払いがあった。

 

全く身に覚えがないLINE MUSICの支払いが、なんか毎月発生していたらしい。

 

マジで身に覚えがない。

何せ「物理本と同じ金額を払っているにも関わらず、版元の都合で勝手に配信停止される可能性がある」というのが嫌で、「データを完全にDLできるようになったらそれは海賊版やり放題になるだろ」というところがわかっていながら未だに全然文句を言うし、それが嫌だという一点張りで未だにITunes等から楽曲を購入し、iPod nano (第7世代) にダウンロードするという生活様式を、十年以上の間頑なに守っている。

最近iPodに接続できる充電ケーブルが壊れたので、海千山千の面構えが並ぶ楽天市場から、詐欺ではなさそうなショップを選んで、互換性のありそうなものを調達している。

 

 


 

 

この行動様式を守り続ける人間が、自らの意思でLINE MUSICに入ることがあるだろうか?(いや、無い)

 

対応

「LINE MUSIC6カ月無料」キャンペーン/「LINE MUSIC for SoftBank」プランの自動更新を解約するには? | LINE MUSICヘルプセンター

 

「LINE MUSIC 勝手に加入されていた 何で」という検索ワードで辿り着いた上記のページを元に、LINE MUSICブラウザ版ページを開き半信半疑で自分の使用しているLINEアカウントを入力したら、プレミアムプランが課金されていたので、普通にそこから解約した。

購入履歴を見るに、一昨年頃から継続して購入され続けていたらしい。

 

何で今になって気付いたの?

普段触らないページを何気なく開いたから、だと思う。

これまでも同額(980円)の支払いが確かに月次でPayPayに通知来るな~と思っていたんですけど、携帯電話本体の故障安心パックプラスの支払い(これは690円)かと勘違いしてスルーし続けていた。

なお、この時のPayPayの通知には「ソフトバンクワイモバイルまとめて支払いへの支払いを受付」という名前で出る。

ここで「僕はLINE MUSICから来た支払いなんです!!」と名乗ってくれていれば即止めていたし、何なら苦情に発展させていた。全く覚えがないからである。

 

My Softbankと謎の支払い

毎月「支払い金額が確定しましたよ」という通知が出るタイミングで、MySoftbankを開くようにはしていた。していたのだが、気付かなかった。My Softbankの「お支払い料金」>「〇月分」>「明細を見る」をタップで開かれる「料金明細」に、今回のLINE MUSICの支払い料金は記載されていないからだ。

 

謎の支払いがLINE MUSICからのものであるという素性を知る為には、「料金明細」ページの下、「各契約の料金」の横にある「全ての明細を開く」をタップして、各契約の全ての料金を開かせた後、「モバイル」の項目の最下層にある「ご利用料金の確認」をタップすると、ようやく表れる「その他の明細」の項目に、全く覚えのないLINE MUSICの支払いが現れる。

 

 

 

そもそも何でLINE MUSICに課金してることになってるの?

LINE MUSIC側のFAQページにも「「LINE MUSIC for SoftBank」プランの自動更新を解約するには?」という項目があることから、おそらく機種変更のタイミングでやってた「「LINE MUSIC6カ月無料」キャンペーン(LINE MUSICに最初入っておくことで便宜を受けられる割安プラン)」があり、6か月後に解約することをすっかり忘れてたんじゃないか、と思う。

 

全く覚えがないなりに己の生活様式に真っ向から反するサービスなので、どこかで覚えていてもおかしくないような気がする程度には自分で自分を信用しているんですけれども、おそらくこの「解約忘れ」が一番ありそうですし、しかも丸い着地点な気がする。

いつこれを支払いだしたかよくわからない状態で、さらにこの原因を深く探っていくと、なんか何かと面倒なわりに、結局何も解決しないという状況に陥りそう。

 

 

 

今後の対策

  • 機種変更時になんらかの無料体験プランを付けられた時は、何らかの方法で絶対に解約を忘れないようにする。

定期的な支出の確認をしたところで今回は完全に勘違いしてスルーしていた(別案件の支払いだと思い込んでいた)上、「LINE MUSIC」としての支払いであることを確認でいる画面は何か妙に深いところに隠されているので、支出チェックで対策できる項目ではなさそう。

大人だから(というより独居だから)、レシピに書いてあることがよくわからなくても炊事をしなければならない。理解が足りていないのでこまごまとしたやらかしはするものの、今のところ致死性の高いやらかしはしていないので、どうにかなっている。これが「まあなんとかなる」ということなんでしょうかね。

今週のお題「大人だから」

 

大人だから、半額になっている煮込み用牛タンぶつ切りを買ってきて、今日は牛タンカレーにします。

独居成人なので、何を食材として買うか、何を食べるか、いつ食べるか、誰がどれだけ食べるか、何も相談する必要がありません。鍋の中のもん全部食う。

 

tan8.hatenadiary.jp

 

ちなみに自分、過日こういうことをやっていて台所に立つたびなんか嫌になっちゃってるんですけど、成人しており独居、さらに他人を雇えるような財力もないので、Do It Yourselfをするしかない。仕上がったものを初めて口にする時には、常に一瞬の緊張が走る。ここまでやっておいて味見はしない。なんか面倒くさいから。

 

牛タンでカレーを作ったことがないし、何なら牛タンが肉として入っているカレーってちょっといいレトルトカレーか、そうでなければどこかしらの店で口にしたことがあるかないかぐらいなんですけど、カレーと言うものは、カレールーの箱の裏に書いてあるレシピ通りにやって失敗することってないので、きっと大丈夫でしょう。

 

diningg2011.web.fc2.com

 

参考までにインターネットでレシピサイトを探すと、牛タンカレーを家でどうにかする時は赤ワインを入れることが多いらしいので、冷蔵庫にあった飲用の赤ワインを鍋に入れます。

なお、インターネットのレシピだと炊飯器なり圧力鍋なりを使うことを前提にしているような感じがありますが、そんなものはないので普通の鍋でやる。煮込み用のぶつ切り牛タンというからには、きっと下処理もいらないでしょう。牛だから最悪、生焼けでも寄生虫はないだろうし。

 

そういえばカレーの具材って、具材を炒める段階で塩コショウで味を付けた方がいいんでしたっけ。でも、そんなことしたら一皿で摂取する塩分量がなんか増えそうですし、そういう工程が必要なら、カレールーの箱の裏のレシピにもきちんと書いてある筈。そこに書いてないということは、きっといらないんだと思います。

カレールーの箱の裏に書いてあるレシピと、調味料系を販売する会社が公開しているレシピのみを信頼している。「一握り」「ひとつまみ」「少々」の違いがよくわからないし、分かったとしても正確な計量器を持っていないのでフィーリングでやっている。落し蓋のこともよくわかっていないし、フライパンの蓋も持っていないので、気が向いたらアルミホイルでそれっぽい蓋をして、誤魔化している。料理が科学としたら、自炊は感覚なんですね。

 

 

今、カレールーの箱の裏レシピで言うところの②「水を入れて沸騰後20分程度煮込む」の行程にありますが、鍋からぶどうジュースが煮える臭いがしていて少し怯えている。

①の行程で「他の牛タンカレーレシピはそうしてるから」と、たまたま冷蔵庫にあった飲用赤ワイン150ml程度を水600mlと一緒に鍋に入れましたが、この赤ワインって巷では味がぶどうジュース寄りで美味しいと話題のものなので、牛タンのぶどうジュース煮込みが出来上がってしまうのではないかという不安を覚えている。

 

 

 

~煮込み20分+カレールー溶解時間5分+10分*1

 

現物を今食べて来たんですけど、なんか肉が固かった。赤ワインは気配だけいるぐらいで、味には特段問題をきたしてはいなかったです。どちらかというと肉硬いなって言う方が気になるぐらい。

全然食べられない程ではないし、まあ美味しいんですけど、牛タンって、どうやら長時間煮込まないと固くなるらしいです。だからインターネットのレシピでは圧力鍋使ってみたり、野菜くずといっしょに三時間煮込んで下処理するって書いてあったんだな……(省略してはいけない手順を学んだ面)

 

www.zojirushi.co.jp

*1:S&Bゴールデンカレー198g 辛口の箱の裏に書いてあるレシピに従った内容

現代美術の展示を見に行ったオタク君の日記(「再開館記念『不在』―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」展、ルイーズ・ブルジョワ展)

 

 

この辺のツイートを見て、年末年始にこの辺の展示を見に行った。

森美術館の展示は1月19日まで、三菱一号館の展示は1月26日までやっているみたいです。

 

 

 

観た人の前提知識

  • 六本木ヒルズに設置されているママンの足元を何度か往復している。あれが現代美術系の彫刻だということも知っている。作者であるルイーズ・ブルジョワのことは知らない。
  • ロートレックの名前は聞いたことがあるけど、何してた人かはあんまり知らない。ソフィ・カルのことは知らない。
  • 高校世界史を履修しており、主要な作品と作者は丸暗記することを強いられていたので、それで一通り流れはまあ何となく知っている程度。ただし専門的な美術教育を受けたことはない。
  • 現代美術について、マルセル・デュシャンの泉に関する評論文を読んだことがある。オモコロの記事で読んだことがある。あれは大規模な大喜利だという見方にはあまり賛同ができないと思っていますが、新たな視座を他人に提供する/それを上手く他人に売り込むという面はまあ確かに大喜利大会と言えなくも無いかとは思う。
  • 何を見ても萌えるシチュエーションのことを考え始める。オタク君であることと自我が癒着し過ぎて、最早どちらが命なのかわからない。

 

omocoro.jp

 

「再開館記念『不在』―トゥールーズロートレックとソフィ・カル」展

mimt.jp

 

三菱一号館の展示は「トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」展の名の通り、19世紀末~20世紀に版画刷りの広告デザインで著名になったロートレックと、フランスの現代芸術家のソフィ・カルの作品を展示しています。三菱一号館は元々ロートレックに関するコレクションが収蔵品の一つの目玉だったらしい。

なので展覧会全体の三分の二は、ロートレック作品に関する展示だった。展示室に入ると初手でロートレックの作品(イギリス人女優メイ・ミルトンの宣伝ポスター辺り)が目に入って来るんですけど、来館者の内の一人の方がきらっきらの瞳孔開いてる目でそれと見つめ合っている場面がたまたま目に入ってきて若干きまり悪くなる。

 

 

 

ロートレックのコレクションをおそらく一通り展示しているので作品数は結構ありましたが、個人的に特に好きだったのは、博物誌の挿絵のハツカネズミだった。

入って確か二つ目の展示室に、ロートレックが博物誌の挿絵として寄稿した原稿だか印刷物だかが展示されていて、展示室に掲示されている説明文では「肉屋にいるようなブタを描いて寄越して来たのはロートレックが初めて、というようなことを博物誌の著者は言っていて……」といったエピソードが紹介されていた(うろ覚え)気がしますが、その冒頭にハツカネズミが居る。

私はネズミの形をしたものを可愛いと洗脳されて育ってきているのもあり、ロートレックのハツカネズミが抜群にカワイイというか、あの手のネズミの姿を写実的に写しとっているような感じがする。ネズミに変なデフォルメとかはいらないんですよ。そのままが一番可愛いですからね。わかってるじゃないですか。どこ目線だ?

あの博物誌の挿絵グッズがさぞ沢山あることだろうと思ってギフトショップ行ったら400円のガチャガチャしかなかったんですけど、今からでもハツカネズミのポストカードとか出してくれませんか? その場にあったんでしょうか?

 

 

ソフィ・カルの展示はロートレックのコレクションを一通り展示した後、エスカレーターで1階下がったぐらいのところにある。イスタンブールに暮らしながらこれまで海を見ることなく暮らした人々に海を見せた場面の映像展示。父母が死んだときの母の日記を何らかの写真と共に展示しているブース。彼女のパトロンというか大口のファンというかが贈って来る花束に着想を得た、フラワーブーケだったか花瓶に刺した花だったかの展示。盗まれたフェルメールの絵画作品が入っていた額縁を展示し、「その中に何が見えるか」を観覧者に聞いた感想をメモしたもの。「なぜなら」(「なぜなら」という写真の撮影理由が写真の前に幕の形で垂れさがっており、それを捲って写真を見る)があった。

また、展覧会のギフトショップにはページに金箔の塗ってある『限局性激痛』の書籍が一万数千円で売っていた。大失恋をした彼女が、他の人にこれまでの人生で負ったとんでもない痛手のエピソードを聞いていくことで、それを相対化する試みを記した書籍らしく、何でも日本での展示(原美術館での展示)が最初だったらしい。

 

 

展示を一通り見ての感想なんですけど、彼女が活動を開始しこれらのシリーズが出始めた時期がSNS全盛の現代であったなら、noteのような媒体でまず活躍するエッセイストのような活動をされてそうだな、と思った。

特に父母が亡くなった時の場面を元にした作品は、一見して何を撮影したのかよくわからない行き止まりの標識や墓地を映した写真の下に、キャプションとして母親が書き残した日記(たしか)や、自分がその時に書き残した日記が掲載されており、noteや何ならはてなブログにこういうのありそうというか、noteを展示する時ってこうやるといいんだなという感じ。かなり現代で活動されている方なので、自分の知っている現代美術の範疇外にあるものに触ったような感じがあった。

フラワーブーケやフェルメールの盗品に関する展示等は、自分の頭の中にある「いわゆる現代美術っぽい展示」の範疇に収まっている一方、限局性激痛の類は、noteっていうか、これはコミティア辺りでもそういった試みが頒布されてそう。これはクリスチャン・ボルタンスキー展を見た時の「来世」のネオンを見た時も同じような感想(ハンドメイドとして売り出したら結構サブカル界隈で人気でそう)だったんですけれども。

 

 

 

ルイーズ・ブルジョワ

www.mori.art.museum

 

これはルイーズ・ブルジョワの単独展覧会。

ルイーズ・ブルジョワのことをほぼ知らない状態で行きましたが、恐らくは彼女の作品をある程度カテゴリ分けして、さらに時系列に進んでいるように並べている感じがあって見やすかった。トラウマをさらけ出す手法で売り出した方が老境に入り、自身が向き合い続けたトラウマを作品世界の中で包摂して、「トラウマに彩られたような日々の中でも一つ一つ些細な幸せはあったよね」というところを見出しているような趣があった。

「ルイーズ・ブルジョワの父親が家庭教師と不倫していたことが、当時母親の介護にあたっていた十代の彼女をいたく傷つけた」という紹介をするパネルの前で、受験期に父親の大浮気が露見してとんでもないことになったエピソードを話されていた二人連れの若い女性の方も、第三章のトラウマを包摂する作品を多く展示するエリアのパネルの前では、「どうなるかと思うけど丸くなったね~」ということを笑い合っていた。そんな感じ。

 


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ここからはさらに気安い感想として見て頂きたいんですけど、第一章「私を見捨てないで」と第二章「地獄から帰ってきたところ」で旧劇場版のエヴァンゲリヲン、第三章「青空の修復」でシン・エヴァンゲリヲンの見せられているような心地だった。色合いもちょうどそんな感じ。

第一章の途中、妊娠している母親と臍の緒で繋がっている胎児が風船のように宙を浮いている小型の(確か)ブロンズ像という作品に「やり直す」というタイトルを付けられているのを見てからというもの、これらの作品はトラウマからのサバイブをモチーフにしたものであり、頭の中にある「親子関係や人間関係といった様々なトラウマと向き合うことを強いられる作品」という棚の中にあったエヴァンゲリヲンが出て来てしまって、そこから完全にオタク君の気持ちで見ていたので、ルイーズ・ブルジョワ展を見た記憶を何をどう思い返しても、頭の中にエヴァンゲリヲンが出てしまう。私を見捨てないで(Don't abondon me.)。理解してほしい訳じゃない、そっとあやしてほしいだけ。母の合理主義と父の狂気。芸術による正気の保障。攻撃しなければ生きている気がしない*1

 

また、彼女の作品の中でトラウマの権化らしく描かれていた支配的な態度の大不倫父親が、母親の死を契機に入水自殺を試みた彼女を助け出したというようなことが年表に書いてあったりして、こう、彼女の等身大の世界の中で存在していた地獄は矢張り彼女の主観を色濃く反映したものに過ぎず、例えばアニメの視聴者の視点として提供されるような「神の視点」では、また異なった様相のものだったのではないか、みたいな、これは完全にオタクの悪い癖なんですけど、ある種「魅力的なキャラクター」を見る時の気持ちで、展示の最後に提供される実在する作家の年表情報を眺めてしまっているところがあった。

そうやって作家を消費する態度はどうなんだというところは勿論ありますが、キャラクターのトラウマに関心を持ちやすいオタクが見に行くと、オタクにされる。オタクの皆さんが行かれると楽しいだろうオススメの展覧会がこちらです。

 


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ルイーズ・ブルジョワ展、ある作家の手による作品世界の中で、いかにトラウマが変容・受容されていくかの変遷を見るようで、個人的にはかなり面白かったです。現代美術のことをほとんど知らないので両者とも行く予定のない展覧会だったんですけど、だいぶ良かったな。今年もよろしくお願いします。

 

あとこのルイーズ・ブルジョワ展を出た後に、東南アジア~中東出身のアーティストによる映像展示のブースが二つあった。その時は普通に疲れてたので帰りましたが、現代美術館でその手の展示を見るのは結構好きなので、ちょっと見に行きたいなと思ってはいるんですけど、森美術館って森ビルの53階にあって、エレベーター乗る前にチケット確認されるんですよね。あそこはそもそも有料エリアなのかもしれない。

*1:いずれもルイーズ・ブルジョワ展の壁に書かれていたルイーズ・ブルジョワの言葉の断片的な記憶 うろ覚え

どうしてこうなるのか

 

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今年の10月頃にニキビにしちゃ硬い何かが顔周りに発生、これが12月に入るとがぜん育ち始めたので、「石灰化上皮腫が、再発している!」と思って、クリスマスに最寄りの皮膚科に行ったら、病名が付いた。

 

感染性粉瘤。

 

人間の肌にはめいっぱい毛穴があり、毛穴の奥には髪の毛や産毛を生やす毛根があり、この毛根を包んでいる部分を「毛包」と言います。

石灰化上皮腫は、ここに何故か石灰のようなものが溜まって膨らんでくる病気。粉瘤は、ここに何故か角質や皮脂が溜まって膨らんでくる病気。いずれもこれといった原因はなく、良性腫瘍。放っておいても問題はないものの、放っておいたところで直ることはない。治療のためには外科手術を行い、石なり角質なりが溜まっている毛包ごと摘出する必要があります。

この粉瘤が炎症を起こすと、「感染性粉瘤」になる。粉瘤が感染を起こすと角質や皮脂が溜まっている毛包の中に膿が発生してカーニバル状態になるので、まずは抗生剤等で炎症を落ち着かせるか、状態は酷い場合は切開してこの膿部分を排出、切開をしたまま軟膏で処置、後日別途手術を行い、パーティー後の毛包を摘出することになるらしい、です*1

 

私が受診した段階で12月25日。年末。年末休暇を控えた皮膚科医は「これは……年末年始で爆発しそうだね」と苦笑いで私に告げた後、抗生物質と軟膏を処方し、「爆発したらまた来てください、良いお年を」と言った。

 

解散。

 

これまで石だと思っていたものの内容物が膿と垢らしいことを自覚すると、なんか患部が痒くなる。しかしここで引っ掻いたら、今や大盛り上がりの患部は爆発間違いなしだろう。

 

 

何故年末なのか。

事あるごとにストレス歯肉炎腹痛大小の失禁を記録しているので、「こいつことあるごとに病院に行っているな」という感じですが、体調の悪さが「話題」になる程度には、頑丈な身体をしている、と思っている。

健康診断では不摂生と視力の低下以外で指摘される項目がない。そもそもの体質が丈夫寄り。定期イベントとして通院が発生しないので、毎回診察券をなくして、探すところから始まっている。

 

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だというのに何故、年末になると通院希望案件が発生するのか。

年末になると社会が終わりに向かって浮かれ始めるので、ここで感染症を貰うというのはまだ納得できなくもないんですけど、何故、粉瘤の状態がここで悪化するのか。

 

というか、お前石じゃなかったのか。

これまで粉瘤にも罹患をしたことはあるものの、一回は粉瘤だったか石灰化上皮腫だったかはっきりしない。はっきりしているのは、「この手のできものを抱えた状態で川遊びをしたことによりできものが化膿し、何故か出来ていた傷口から膿が無限排出されていた」という経緯、そして、「傷口が化膿していたためか主観的に麻酔がほぼきいていないなか切開と洗浄が行われたことで、戦後処理は完了したとはいえ、予防接種にも暴れるティーンが仕上がった」という記憶である。ここの中に入っていたのが果たして膿と石だったのか膿と垢だったのか、それとも膿と石と垢だったのかは覚えていない。

もう一つは、「おそらく粉瘤だろう」と切開したら粉瘤の奥から同居人の石が出て来たらしく、これまで和やかな雰囲気だった医者の声色が変わった回だった*2

 

純粋に「明らかな粉瘤」というケースは、ひょっとするとこれが初めての罹患かもしれない。

せめて着衣で隠れるようなところに出来てくれれば、これが破裂したところでどうということはないかもしれないが、よりにもよって顔。顔に爆弾を抱えて、ゆく年くる年

 

 


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こうしている間にもカップリングセンス悪いオタクがスペースを開き、センスのないカップリングをミーム汚染のように拡散させることで、ただでさえ自分のツイートしか引っかかってこないTwitterの検索結果がなんか、ドブ川みたいな有様になってる。

スペースで何らかの演説を繰り広げれば他人が自分の好きなカップリングを描くように誘導することができるのだろうかとありもしない先に思いをはせていると深夜1時、賃貸の障子みたいな防音性の壁の向こう、公道を挟んで向かいの家にカチコミが発生。バイク音、罵声、鉄パイプのようなものをシャッターに叩きつける音。

速やかに緊急通報をしたら即座に駆けつけてくれたのはいいものの、明朝五時まで窓の向こうに広がる公道で事情聴取が繰り広げられ、ことあるごとに罵声が飛び交う。最早生放送ですらない。生の警察24時。

 

 

どうしてこうなるのか

何であれ他人が眩しく見える時期だもんで、他人が眩しい分には「そういうものだろう」というところなんですけど、何故同時にこっちにはミソが付くのか。

そういえば前も、この時期になんか、やたらと惨めな気分になっていたなと思って、その頃の記事を見返していた。

 

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2023年の目標は欲望の把握、余生に向けてのスケジュール管理をしていきたいですね。

 

2023年どころか、2024年もこれはできていない。

労働をしたくない。より正確にいうと、「労働に時間を使いたくない」。しかし生存するには資本が必要で、私は労働に代替する資本の手段を持たない。労働の様式をよりライフスタイルに合わせた/負荷の少ないものに変更するにも、その場合はだいたいの場合給与が目減りする。転職をする為の活動をできるだけしたくない。スキルの取得に時間を費やしたくない。乳母日傘と言われた時期の就職活動すら厳しく、乳母日傘の環境での労働すらままならない。苦しい。

せめて家賃支出を減額するため、ランニングコストがより安価な賃貸への移転を考えるものの、そもそも退去を前提とした部屋の掃除がままなっていない。生存を前提に様々な清掃グッズを買い込み食品を買い込むよりも何よりも、塩素系洗剤と酸素系漂白剤、ポリバケツを買う方が安上がりだ。

 

絶え間ない異議申し立ての為に、生活を続けている。年次の経過によって乳母日傘モード(平社員)から上がるような羽目になったら、最早あの職場ではやって行かれないと思う。一方で、他に何かしたいことがあるわけでもない。長期スパンで旅行に行きたいなァとは思っているし、かといって再就職や日銭を見据えて活動をしたくないので、無税の大金を得て、金に困らない暮らしをしたいなァと考えている。年末の目標は年末ジャンボ宝くじの当選、来年の当面の目標は、バレンタインジャンボ宝くじの当選。

 

 

今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」

*1:粉瘤(アテローム・表皮嚢腫)|日本形成外科学会 (最終閲覧日2024年12月28日)

*2:粉瘤も石灰化上皮腫も大した手術ではない。この時は恐らく「触診で想定したよりも患部が深かったこと」に声色を変え、処置キットの追加を注文したものと思われる。

ダンダダンの10話を見てボロボロ泣いてる

www.netflix.com

 

ダンダダンのアニメを観ている。

翌営業日が来ることに怯える頭を適度に腐らせる為のYoutube Shortタイムで度々切り抜き映像が出るようになって、切り抜きの本編映像を少しずつ脳に入れられていると、なんだかそれで観た気になるのも申し訳なくなったから。あとまだアニメ1期だったから労せずに追いつけるかなとも思ったから。

同様の流れで葬送のフリーレンのアニメや、ブリンバンバンボンのアニメも視聴している。スライムホビーのアニメと最近完結したらしい学園ヒーローアニメについては、公式チャンネルが発信する切り抜きshortで何となく展開を把握しており、もう観たような気分になっている。そんな感じ。

 


www.youtube.com

 

労働者なので、10話でボロボロ泣いている。

 

インターネット(といってもYoutubeShortの感想動画)で見かける感想だと、このアニメは7話辺りが泣きポイントであるらしいのだが、個人的にあの話は感情が怒りに振れる側の話だった。あれは悲しいというより、だいぶ胸糞の類の話だと思う。

一方で、7話が特別胸糞な手触りでやっているように感じるのかというとそう言う話ではなく、怪談話や心霊にフォーカスするフィクションには必ずそのような胸糞の要素が入るものである。

「そのような扱いをされるべきではない/到底許されないような非道」を向けられ破綻させられた者のうらみが、死によって現世における社会的地位や属性、あらゆる法則というくびきを脱したことによって、「呪い」や「怨霊」として出現する。怪談話には少なからずこの要素が含まれることが多い。

私が、そこに悲しみを感じるというよりも、そうやって蔑ろにされた者が、力を得て尚恨みさえ達成できない状況への憤りを感じる頭をしているという話です。

 

 

一方で10話はなんか、シャコの陥っているあの不遇に憤るには、自分が、日々の労働にあまりにも泥んでしまって、悲しくなってボロボロ泣いてしまった。

不当な搾取をされるべきではないが、生まれる場所は選べないし、自分のやれる範囲で金を稼がなければ、当面の生活ができない。自分の機嫌を取ることも難しいし、これにもし扶養家族がいれば、自分がどうにかして稼がなければいけないというプレッシャーはいよいよ激しくなるだろう。

 


www.youtube.com

 

幣の職場で共にハラスメント的な圧力を受けていた同僚は既婚者であり、暮らしを守る必要があったからあれに耐えたのかもしれないし、私は自分の身さえ守ればいいという立場であるから、地獄の季節である年度末を前に、既に撤退戦の方向で考え始めている。

というか、現時点で既に、社会側の要請に答えられる能力を現在有していない。「何故」の分析を2回繰り返されると、想定していない質問を入力されたことから、普通にフリーズする。面接でこのフリーズの仕方をしたとしたら、無事落ちていることだろう。

 

「私が弱いために妻を死なせ、あなた達を傷つけ、息子に辛い思いをさせています」と言って、画面の中ではカレーと寿司を食ったシャコがボロボロと泣いている。私も泣いている。

インターネットどぶ川の様相を呈しているTwitterのおすすめ欄やら何やらを見ていると、自分の境遇がいかに恵まれているかを感じることができますが、おんばひがさの職場ですら、普通に辛い。しかし、これをしなければ生活がままならない。生きていくためには金が必要で、金を稼ぐにはこれをやるのが一番手っ取り早い。というか、これ以外を選べる能がない。

定期的な収入が入る身分は非常にありがたい。だから、これにはしがみつく価値があると理解している。「なぜ」を連呼されたところでしらばっくれていれば給与は振り込まれるので、どうってことないのである。

 

危険な仕事に従事し労災の状態になっても会社が潰れた(比喩表現)ので給与が振り込まれず、息子の治療費を払えないとシャコが泣いている。

シャコよりは遥かに恵まれた暮らしをしているのに、俺もこんなに辛い。何故こんな苦役を受けなければいけないのか。しかし、ここから逃れたところで他に飯の種はないし、経済的に安定していることは、資本主義社会において命綱みたいなものだと理解はしている。

自分の意思で利用できる金(手段)がないという状態は、非常にメンタルに悪い。定期収入のない大学生だった頃は数百円をケチって二駅歩き飲むものも飲まないでぶっ倒れていた。預金残高は心の安定を示すものでもある。しかし、一日八時間作業に従事して翌営業日が来るのが嫌で脳を腐らせてどうにか眠って、泥のように起きて、タイムカードを切って、生きるためにはこれをしなければいけないが、何故こんなことをしなければいけないのか。生きているが故に罰を受けているのか。でも安定した暮らしの為にはこれをして得る実入りが重要で、う、うう…………

 

という感じで、頭が夜中によくある負のループに入ってボロボロ泣いていたら、画面の中ではシャコが期せずして救済されていた。

たぶんこれはキャトルミューティレーションの絵面を出したかっただけだろうとしても、シャコの労苦が報われていて良かった。

私の安定した暮らしを願うように、シャコの安定して穏やかな暮らしを願っている。