上司との折り合いが、悪い!
管理職と平社員の間に立つことが想定されている何らかの役職者が存在しない状態でここ数年、管理職である上司側は「中間に立つことを想定される役職者」程度の労働を求めてくる一方、こちらとしては「役職者」に宛がわれるような昇級もない状態でそんなタダ働きしてやって堪るか、突如そんなことを言われてもこちらとしては対応ができない。引継ぎもないし、前任者も消えてる。
「取り敢えず握ってみて」と言われて鉄棒握り始めた人間が、そんないきなり大車輪できますか? こっちは最初から逆上がりだと聞いてるんですよ。は? 知るか。そんな感じ。そもそも先方が提示してくるレベルというものが、恐らく組織内にある共通の尺度のものではない。どこから持ってきた尺度ですか? それは。
おんばひがさで労働をさせて頂いているだけで苦痛なのに、できもしない大車輪を求められて意味の分からない詰めが始まるとも~~~~っと辞めたくて毎営業日「助けて!」とあてどもない救いを求めながら枕を涙で濡らしていますが、ここ最近は「今日と同じ明日が来るとは限らないし、何が起きるかもわかりませんからね」と気持ちを切り替え、ひとまず寝て起きて出勤するんですけど、
長期間にわたって勤労を続けている人間って、なかなか健康。
この世って得てして一寸先は闇、何が起こるかわからないと言われるものですが、今日明日という時間の尺度だと、意外と人間って、どうにもならない。どうにかなるどころか、風邪を引きもしない。あいつ、健康すぎるだろ。
この平常、健康、「昨日と同じ今日」の積み重ねはつまり地盤の沈み込みのようなもので、これが積み重なった先にある日突然グラっとくるということかもしれませんが、私が救いを求めている直近で、意外と、元気。どうにかなる気配、まるでなし。
フォークナーの『響きと怒り』を、営業日と営業日の合間に読んでいた。Twitterで見たから。「アメリカ南部の名門コンプソン家が、古い伝統と因襲のなかで没落してゆく姿を、生命観あふれる文体と斬新な手法で描いた」*1というものです。
※以下、『響きと怒り』本文内容のネタバレを含みます。
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