tanpa

社会人ちゃんの日記

酒は毒(October editions)

10月の飲酒日記、こんな感じ。

 

画像は「Stable Diffusion Online(https://stablediffusionweb.com/)」を使用して生成

 

 

大学時代の同期ちゃんに会いに大阪に行った(新幹線往復三万円)。

以降は「大阪にいる同期ちゃん」を「同期Aちゃん」、

「一緒に酒を飲んでいるとき話の流れで同期Aちゃんに連絡をし始めその場のノリで大阪行きの日程が決まったので、一緒に大阪にいくことになった同期ちゃん」を「同期Bちゃん」と呼びます。

 

同期Aちゃんと同期Bちゃんは大学同期ちゃんたちの中でも酒の豪のもので、飲み会があるとその飲酒量から東の横綱西の大関と喩えられていました。

ここから同期Aちゃんを「大関」、同期Bちゃんを「横綱」と喩えます。私は草履持ち。

 

草履持ちが三軒目の店から宿に向かう時の姿勢がこれです。

 

 

正直、記憶がない。

一件目の立ち飲み屋は覚えている。

古風な喫茶店がお冷を提供してくるサイズのグラスコップに、「水か?」ってぐらい日本酒を注いでくる居酒屋だった。

 

 

その一か月前に自分が日本酒が飲めるようになっていることに気付いたのは東京のこじゃれた居酒屋(着席タイプ)でしたが、そこで出てくる日本酒は、いかにも酒用っぽいこぶりのグラスにメモリが着いており、下のメモリは600円、上のメモリは900円、日本酒が入るグラスよりも三倍の高さのグラスに氷水が入って出てくる店だった。

一方、大阪の立ち飲み屋で出てくる水は、普通に飲食店でお冷入って来る程度のグラスにそこそこ入って出てくる程度なので、ぜ~んぜん酒の方が多かった。全部一杯600円

 

 

 

二軒目の飲み屋も覚えている。

横綱がそこの卓で吐きかけていたのを、大関と一緒に励ました覚えがある。

あと、店内BGMのメニュー表があり、メニュー表にない曲を注文してヘドバンしていた記憶もある。

 


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三軒目には、カラオケに行ったらしい。

 

ここからあまり記憶がない。

 

残された写真によると、二軒目と三軒目の間にお散歩して大阪新喜劇の建物を見に行ったりしたらしくて、最高の笑顔で写真に映っている自分が、後日ラインのアルバムに現れた。素面のときは、こんな満面の笑みで写真に映れない。

「正しい思春期」を送ってこなかったので、青年期を迎えるまでに獲得するべき「写真映り」の技能を持っていない。カメラを向けられるとどうしてもぎこちなく笑ってしまうし、取ってつけたようにピースサインをするんですけど、記憶がないぐらい酔っぱらうとすごく楽しそうに笑えるようです。

こうなったら、全ての写真撮影の前に泥酔をするべきでしょうか。するべきではないんですけれども。

 

三軒目だったカラオケ館は、便所のことを覚えている。

個室ドアの外で私の回収を試みる大関の声を覚えている。私は便所の床に丸まって寝ており、「あと五分寝かせてくれ」と、声掛けを鬱陶しく思っていることを隠しもしないような声でしきりにせがんだ。するとドアの向こうの大関は「そう言ってあんた30分寝てるよ」と言いながらドアの隙間から手を入れると、床で丸まっている私の髪をひっぱって起こそうとしたことをよく覚えている。

 

横綱はなんかそこでケロっとして、カラオケをしていた。

アルコールに対する大関の強さは分解速度の速さか何か知らんもののいっこうに健康状態を損なわない鉄壁さ、そして横綱の持ち味は泥酔状態から回復する速度なのだろう。

 

 

翌朝、ここから奇跡的に回復した。

コンビニで買ったユンケルの錠剤が良かったんだと思う。

あとカラオケで吐くものが無くなり黄色っぽく苦酸っぱい汁を履き続ける段階まで吐いたのが良かったのかも。

 

 

強化人士との飲み会で泥酔した時とは、回復のスピードがまるで違う。

 

多分ユンケルと浅いながらも横になって寝ているお陰で、二日酔いに起因する諸症状(身動ぎができないような強い倦怠感、吐き気、重い風邪と勘違いするような頭痛等)はきれいさっぱり消え去っていた。

後に残ったのは、瓦礫のようにがらんどうの身体だけ。

起き上がれるし、歩けはする。しかし食事をすると吐き気がポップアップしてくる。とはいえ腹は減るし、限界まで吐き戻しているので体力も携帯の充電も35%程度。

たこ焼きも食べずに新大阪に向かい、駅地下街の喫茶店で適当に頼んだら大量に出現したサンドイッチを水で流し込むようにひいひい完食。さっさと新幹線に乗り込んで帰還した。

 

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今回の敗因

旅行先でチェイサーもろくに入れずに日本酒をガバガバ飲んだこと

 

しかし「適量の飲酒」は当然掲げられるべき麗句ですけれども、酒って、何も考えずに飲んでいる瞬間が一番楽しい。

タバコもコーヒーもフグも何もかも毒ですが、他の毒は毒だから旨いというわけではなく、過ぎると速やかに「毒」感を出してくるというのに、どうして酒は適量を行き過ぎたところがあんなに楽しいのか。

 

毒を飲んでギリギリ明日に尾を引かないラインを見極めながら、千鳥足で歩くのがきっと一番楽しい。酒のいいとこどり。しかしその考えは甘く何となれば欺瞞であり、千鳥足なんかで歩くとそのまま踏み外して骨を折るのではないでしょうか。

それに、「まだ自分は正気で、頭がはっきりしていて記憶もあるのだから、ここから自分で飲酒量をコントロールすることが出来る」という思い込みで千鳥足で歩いていると、いきなり記憶が飛ぶ回もある。今回のように。

 

改・今回の敗因

アルコール度数を気にせずガバガバ酒を飲んだこと。

その上で自分は飲酒量をセーブできるという甘い見通しを頑なに持っていたこと。

 

改善策

アルコール度数の少ない酒を飲んで、様子を見ながら飲酒を進める。

←でも最近日本酒を飲めるようになってしまって、平均アルコール度数15度液体が舌の上を通過しても、「これは手を拭くアルコールの味だ」と判断して渋れなくなってしまった。これが老い(毒物を感知するセンサーが弱まっている)ということなんでしょうか?

 

 

飲酒が法律で禁じられていた年齢だった頃、私は酒乱の父を見て「どうしてあんなに酒を飲むのか」と思ったものですが、いや、これは嘘、思わなかった。酒乱は酒を飲んでさえいれば機嫌が良かったので、別に、いくらでも飲んでくれていいと思っていた。

飲酒が祟った親の身の心配より、酒を飲まずに親が怒り狂っている時、自分の身に及ぶかもしれない危険の方が肌身に感ぜられたからだ。とはいえ酒を飲んで暴れる時も危険なので、できれば「酒を飲んで気持ちよく寝てくれ」ということしか考えていなかった。

でも酒乱は酒に強いから、しこたま飲んでも(意識の有無は兎も角)平然と動く。動けるので物損するし、自損もする。

 

物心ついた頃からその手の酒乱と同居していたので「何でああなるまで飲むのか」というのを疑問に思ったことが無かったものの、今になると、酒を飲んでさっさと辛く苦しい労働の意識を飛ばしたかったのだろうという他にも、酒を飲んでアルコール成分によって気が大きくなり、「楽しそうな酔っ払いになること」が楽しかったのではないかと思った*1

こうなって今初めて、父なるものが理解できたし、私はあれに似た感覚的な才能がある。

もし私の身体が酒に強かったらああなる可能性があったので、酒を飲んで異常作動する脳味噌で暴れるよりも先に、酒が作用して歩くことしかできなくなる程度の脆弱さを持っている肉体で良かったなと思います。

 

あと、単純に前回も今回も運が良かった。下手したらエレベーターを降りている時点で立っていられなくなって落下して、大阪で骨を折っていたと思う。

 

飲酒と酩酊、極めて危険な行為です。自分の身を危険に晒す瞬間が一番楽しい。飲酒は一般的な海外旅行保険の範囲内で楽しめるスカイダイビング*2。登山辺りと同じような括りの趣味*3。相当危険なんですけど、平然と受け入れられている。

 

 

*1:私が見ている段階では既に中毒になっており、「楽しいとか楽しくないとかいう段階ではなくまず飲まないと何もスタートしない」という状態になっていたとも考えられます。

*2:(参考)スカイダイビングやハンググライダーは危険なスポーツに該.../損保ジャパン(最終閲覧日2013年10月27日)

*3:【クイズ】登山とかいうクレイジーな趣味で、誤解されがちな知識6選【ずんだもん&ゆっくり解説】 - YouTube(最終閲覧日2013年10月27日)

9月のゆめにっき

今週のお題「夢」

 

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9月も「寝入り端と明け方の激しい気温差のせいで目が覚めた」とか、「単純に劣悪睡眠」とかの理由で夢見の悪い日がいくつもあり、やたらと込み入った夢を見てはTwitterの下書きに書き溜めていたのでここに供養しようと思っていたら、丁度よくはてなブログのお題が「最近見た夢」についてだった。こんなことありますか?

 

 

 

 

9月上旬の夢

夏場にモルカーのエアコンの使用を制限しろとモルカーの前で演説をぶっこきモルカーのエアコン使用を自粛させた男が、モルカーが夏場に憔悴している様を観察しながらモルカーの下に紙(マックのハンバーガーを包んでいる紙)を敷き、その紙を後日回収していく。モルカーの下に敷かれた紙は香ばしく、冬場に人気らしい。

 

感想

モルカーの下に敷いたからではなく、ハンバーガーを包んでいたからその紙は香ばしいのではないか?

 

 

9月上旬~中旬の夢

店にいる水槽のカクレクマノミが水槽から飛び出して店の床で死のうとしているので戻してやったら、水槽の中にいた数匹のカクレクマノミは既に死んでおり、今戻してやったものも早速弱り始めている。

原因がわからないので架空の高山遺跡に相談しに行くと、出張中の誰かが遠隔操作コードを使ったせいで大量の埃が排出され、その結果遺跡の水源が濁った。遺跡内で手にされている巨大な青銅の剣を分解しながらところどころうっかり砕きつつ洗っているとテレビカメラのロケ班が下から上がってくる。何らかの遺産に指定されている青銅剣を砕いたことを見咎められないように私は自分の身元判明に繋がりそうな荷物を引っ掴み、エレベータで下山する。

後日様子を見に行ったところ、件の青銅剣を展示していた特別展示室は閉鎖されていたものの、入れ替えによるものだろうと誰も気にしていなかった。ああよかったと思いながら他の展示を眺めていると、体験コーナーで獣血で染色したクジラの髭を使った入れ墨の方法について紹介されており、体験してみた結果クジラの髭を耳の後ろから頬に掛けて打ち込まれる。見た目はいいらしいが、物凄い違和感がある。

 

感想

マチュピチュ歴博国立博物館のキメラのような施設が出て来てかなり面白かった。体験コーナーの陳列はデンマーク国立博物館のものだったような気がする。脳ってすごい。

 

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9月中旬の夢(1)

どこかしらの占領地区に向かい知人の家に宿泊するとがさ入れが入るので息を潜めて隠れている。その晩の空襲でその家の子供(9歳ぐらい)と一緒にシェルターに入って息を潜めていると家に迫撃砲が直撃し、その家の子供の方に弾が当たって死んでしまう。

翌日世話になっている知人の知り合い(ここに最近移住してきた人)と一緒にクソデカホテルに行き、そこの次男(9歳ぐらい)と行動を共にするものの、次男が行方不明になるので慌ててホテルの中を探し回るものの、ホテルは本当に広く軍人が本当にそこら中にいるので、あからさまに外国人の顔をしている私は上手く動くことが出来ず次男が見つからない。

 

感想

ホテルはシェレメチエヴォ国際空港に宿泊した時に留まった空港近くのホテルだった気がする。非常に広く朝飯が旨かった。夜中にホテルのドアロックが開き、そのことで明け方に警察が尋ねて来た部屋だった。

 

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9月中旬の夢(2)

鬼滅の刃のキャラクターと呪術廻戦のキャラクターが湖景村で28*1をしており、断罪狩人がオガミババアを追って飛ばしたチェーンクロウでババアの首が飛ぶ。

伊之助を育てたオガミババアはアスレ*2から浜*3までチェイスしてから脱落したが、試合がどうなったかは不明。

 

感想

荒唐無稽で夢らしい夢。

 

 

9月下旬の夢(1)

高校の修学旅行がローマで、私の親になってくれるかもしれない相手とどうにかしてローマの休日のようなデートコースをするために諸々部屋を変えて貰ったり友人をダシにして行動したりする。周りが皆不思議と協力的だった。

 

感想

夢らしい夢。目が覚めてからの虚無感が凄かった。二次創作で「片思いの相手の夢を見てから起きると自己嫌悪が凄い」という描写を頻繁に見るが、まさにそうなった。望みが一ミリも無い時に夢に見る「望み」のようなそれは、自尊心を大きく損なう。

 

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9月下旬の夢(2)

夢の中で私は飲食バイトをしている。ニュースで韓国の大きな、しかし聞き覚えのない会社の車部門が倒産し、「でも日本の工場はこの倒産の余波を受けることはないだろう」と報道されているのを聞く。北海道の小亀という地名*4にその工場があるらしい。「でもそれって国の補助金が回っているからじゃないか」というツイートがTwitterでバズっている。そのあと店長がゴキブリを捕まえて見せてくれようとするので全力で逃げる。

 

感想

何? 飲食バイトはしたことがない上、夢のメインが飲食バイトのそれではない。

 

 

9月下旬の夢(3)

妖怪ウォッチの絵柄の進撃の巨人。島の外の人間が俺たちを皆殺しにしようとするので、架空のキャラクターが木槌を使って島の外の人間を打ち落としたりする。

 

感想

たぶん寝る前に進撃の巨人を読んでいた。妖怪ウォッチはCM以外見たことがないので不思議。

 

 

9月下旬の夢(4)

月の河公園の28にサバイバー側として参加しているが、月の河公園にしては見覚えのない産婦人科クリニックのような薄ピンクの内装をしている。その建物の中で隠者と芸者を相手にチェイスをしているところで金縛りの予兆めいた痙攣が起こるので、ここで気合いで起きる。

 

感想

隠者って28出禁じゃなかったっけ

 

 

 

9月下旬の夢(5)

看護師として働いていると患者の子供に抱き着かれるが案の定抱き着いてきた子供が地蔵クラスの重さにあんり、身動きの取れない状況で目の前が真っ暗になる。ゲロを吐き散らかしながら藻掻くものの段々息が出来なくなり、酸欠になったところで気合いで起きる。

 

感想

昼間に仮眠を取ろうとすると大抵こういう種類の夢を見ることになり、かえって疲れる。

 

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こうして並べて見てみると、9月下旬に掛けては流石に涼しくなってきたからか、夜の睡眠で記憶に残るような夢を見ることは減ってきている(行数が短いものは大抵便所等で昼寝を試みた時のもの)んだなと思いました。

あと、本当に「願望」を具現化したような夢を見ると自尊心が削れる。良くない。どうすればいいですか?

 

*1:第五人格のゲームモード ハンター2体に対してサバイバー8体でゲームをする

*2:第五人格のゲームステージの一つである湖景村の中のオブジェクトの俗称

*3:同上

*4:地名ではないらしい。夢の中の産物と思われる

存在することによる不断の抗議

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

かれこれ十年以上、Twitterで趣味の旅行の記録や二次創作をし、日記をつけている状態にある。

一方で、昨今Twitter社自体の経営不振や、イーロン・マスクによる買収および諸々の経営改革*1がトレンドに乗る度、恒久的なTwitterサーバーのダウン、つまりTwitterのサービス終了がオタクのタイムライン上でまことしやかに囁かれますが、こういったことが万一起こったが最後、同時に人生の大部分のログが消滅することになるということです*2

このブログについて - tanpa より

 

「このブログ」を書く理由としては、以上の引用の通りです。

 

「今、何してる?」のフレーズに踊らされ、「なう」をツイートし続けるような人生を延々と送っていたために、今後かつてのTwitter社の成り行きによっては、これまで10年近く溜めていた人生の記憶が文字通り喪われてしまう。これを避けるために、ある程度生活に関連する事柄をTwitter外に書き留めることにした。つまり「ブログを書く理由」としては、「備忘」がひとつにあると思う。

 

 

例えば、Twitterにこのツイートをしていることで、私は今自宅で使用している冷蔵庫の中が常温になってしまったことに気付いたのが今年の7月20日であることを思い出せますし、飲みさしのアイスコーヒーを冷蔵庫に入れたらにんにく臭くなったのが8月17日、練乳入りアイスが溶けたまま最早元の姿に戻らなくなったことを嘆いているのが8月23日であることを思い出せる。

 

そして今日9月14日、この頃の冷蔵庫はちゃんと冷えているので、かつての「冷蔵庫の中身が生ぬるい」という現象は夢だったんじゃないかと思いながら弁当に入れる具材にしている冷凍ブロッコリーを取りだしたら、緑の透明スライムの塊になっていた。一度完全に解凍したものが再凍結したのだろう。再凍結した冷凍ブロッコリーは、緑色のスライムになる。凍ってはいるがどういう訳かぬめって、手でちぎれない。あれは夢じゃなかった。

 

 

Twitterなりブログなりにこうしたことを記録していると、読み返しやすいし「何時のことだったか」を明確に思い出せる。これは病状を振り返る時も便利です。

 

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また、文章を書くことで、当時の自分が感じていた強烈なストレスを整理し、自分が直面せざる得ない出来事をいくらか耐えられるものに加工することもある。

副産物である文章をブログに掲載すると、結果として「この時期本当に出勤が嫌で眠れていなかったんだな」とかいうことを後から俯瞰して備忘することもできるし、当時何を感じていたかをうっすらと思い出すこともできる。

 

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私は自分の飼っていたハムスターが死んだ記事を見返すことで、当時感じていた悲しいというには身勝手だが怒りというにはどうしようもない、脳味噌を掻きむしられるような不快な気分だったことを思い出すこともできる。

 

文章を書くことで当時の自分はストレスを腑分けでき、その瞬間よりも後の自分は当時のことをより明確に振り返ることが出来る。Win-Winということです。

 

しかし、これを公開する必要がどこにある?

 

恥の多い生涯を送ってまいりました。

 

単純に「備忘」が唯一の目的であればそれこそチラシの裏にでも、より実用的に考えれば非公開アカウントにでも、プライベートブログにでもすればいいだろう。

全世界に公開するのであればもっと「これを書いたということはどう見られるということか」という視点を持つべきだ、と思う。

 

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同人イベントに参加するぐらいなら南米にいった方が良いと高らかに記事にせず、表面上はもっと取り繕ってオタクと交流を取り結べるように努力をするべきだ。

趣味を媒介に交流する可能性を持つ存在、「界隈」とされるオタクの集団から「異常」として遠巻きにされるよりは、交流めいたものを持とうという姿勢を見せていた方が、そこから何らかの益を得られるかもしれない。

そのフィールドが学校であろうが仕事であろうか趣味であろうが、人間関係がある以上何らかの社会がそこに存在している。どうあってもそこに所属し続けるのであれば、大勢に追従して見せるような姿勢を取った方が何か益を得られるかもしれない。

イベントで拍手をするたびに始まったというワクワク感を心に持った方が良いのかもしれないし、イベントに行く人はお気をつけてというツイートをした方が良いのかもしれない。(任意のキャラクター)に関する新情報が出れば、自分が大して興味がない領域であろうと「(任意のキャラクター)推しの人良かったね! 可愛い💕」みたいなツイートをするべきなのかもしれない*1。模範囚の方がいくらか釈放が早くなる、みたいな。

 

勿論、ガチ恋粘着獣もかくやという有様を晒したことがある話は内輪ネタとしてはいいかもしれないが、文章という形でデジタルタトゥーにするべきではない。

成人になって漏らした話も、居酒屋なんかで口頭伝達するには話の種になるかもしれませんが、ネットで公開するべきではない。どうせ公開するならはてな匿名ダイアリーに書き付けることとし、表面上はもっと取り繕った顔をしているべきではないのか?

 

 

「存在するということは不断の抗議であり復讐である」というのを太宰の小説で見たことがあるような気もするし、ウェルベックの小説でも見たことがあるような気がする*2

この両者が書いたようなことが頭の中で混ざっているような気がするし、オタクという属性への蔑視が根強い時期に多感な時期を通過したものとして、この手の読書記録を晒している時点で、一種の社会的な烙印を抱えているようにも思う。

 

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しかし、ブログの記事を書き公開し続けること、二次創作小説を書き公開し続けること、あくまで生活を続けること、私はどれも似たような動機で行っており、それは抗議であり、一種の復讐のようなものです。

 

「自分が」どうあってもそう在ることの出来なかった諸々に対する抗議が祟って、生き恥を晒している。

 

同人イベントまで来ておいてオタクが多数交流している現場で透明人間のように存在し続ける空気に耐えられずブログを更新し続ける人間はいますし、冬至に漏らしている人間もいる。他人に年単位で粘着した挙句、友人の結婚式で対面することになる人間もいる。

 

他人がそれをどう受け取るかは他人の次第ですし、第一趣味で文字を追う人間ってそんなに多くないということは、二次創作同人小説という自己満足の極致のような烙印めいた趣味を続けていることで薄々理解しているので、ある程度お目こぼしを頂けませんかね、とも思っています。

見なかったことにして頂くのもいいでしょうし、何らかの糧にして下さればこれ以上はないことですし、特に漏らし記事なんかは、なんかもう、笑っていただければ本当にそれで十分。

 

それはそれとして、書く理由です。これを書き、ブログとして公開する理由は、存在することが抗議になると考えているから。どういった理由でブログを書いているんですか? 自分の存在によって、「何か」に抗議をするためです。

「書き手の皆さん本当に尊敬! 素敵な(任意のカップリング)本出してくれて感謝しかない✨ 感想後でお送りしますね!」という同人オタクのアカウントによる何かのツイートとか*3、「イベント最高! 参加者のオタクみんな美人で完全に擬態してたw *4」等、オフラインイベントをサイコーに楽しんだオタクの姿とか、「恋は楽しくていいものだし恋をすれば毎日が最高になる✨*5」という言説とか、あと、「大人になったらおしっこを漏らす筈がない*6」とか、そういう、少し考えればまるきり嘘だということがわかる主語のデカイ言説、殊更に流布しやすい「楽しさや美しさ」に関連づいた集団の記憶に対する、個人的な抗議のため。

 

*1:あまり関心を持っていないところにわざわざ口を出す有り様は不誠実だと思っているが、オタクとしては「自分は興味ないけど〇〇さんが好きだからこのキャラ描いてみた」がどれだけ有難いことかも理解している。この仕草の延長線上にあの行動があるということでしょうか?

*2:該当する箇所は以下と思われる。「僕はなぜ小説を書くのだらう。困つたことを言ひだしたものだ。仕方がない。思はせぶりみたいでいやではあるが、假に一言こたへて置かう。「復讐。」」(太宰治 道化の華(最終閲覧日2023年9月14日))および「「人生がおぞましいものになればなるほど、人はそれにしがみつこうとする。よって生きるということはつねにひとつの抗議であり、不断の復讐なのだ」(オノレ・ド・バルザック)」(ミシェル・ウェルベック著、中村佳子訳『プラットフォーム』河出文庫 エピグラフ

*3:「後で感想を送ります!」と書き残して消息が途絶えるケースを数回見ている。しかし、そもそも手に取られない確率が高い小説同人誌でメールフォームにメッセージが入る段階まで来たことを喜ぶべき案件であるという理解はしている。

*4:これは「オタク」が蔑称と同義語であった時代を過ごした人間に見られる仕草だと思う。最近オタクになった人間にも、こういった仕草は見られるのでしょうか?

*5:個人差がある。「恋」という心理現象を養分にして美貌に磨きをかける人間もいるだろう。

*6:大人になったらおしっこを漏らす(ことを公言する)筈がないだろうという点では正しい。そう在るべきだ。失禁に何らメリットはない。

劣悪睡眠ゆめにっき(8月27週)

 

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過ぎし8月下旬は睡眠がガッタガタだったんですけど、全く寝れない日記兼『滅ぼす』の感想記事を投稿した辺りから不思議と「普通の睡眠」というものを取り戻したような気がする。

「普通の睡眠」とはどういうことか? ここでは目を瞑り、益体もないことを考えている内に「死(主観の喪失)への恐怖」を引かず、体感30分以内に意識を失い、その後起床目標時間まで一度も目を覚まさないことを指しています。

とはいえ、睡眠の質は戻っていないのか或いはたまたまなのか、もしかすると夜と朝の温度差が激しく、空調を切って眠ると朝部屋が温室のようになっていることによる強制起床パートが発生するからかもしれませんが、睡眠ガッタガタウィーク直後、やたら夢を見る週間があった。

普段の自分は夢を見ても起きた瞬間忘れる性質ですが、この週は不思議と起きてもしばらく内容を覚えている夢がいくつかあったので、そのたびにTwitter*1の下書きに書き留めていました。が、今更ツイートする程のことでもない一方、覚えている夢も稀なので記録しておこうと思います。

 

 

8月27日の夢

サバンナを縄張りにするライオンの群れには草食動物が着いて回り、それは巨大な群れになる。巨大な群れに一頭いる雄ライオンの糞は吸引力の強い底なし沼を形成するので触らないように、という注意がガイドから入る。自分はサファリのバスの乗客である。

やがて巨大な群れの傍にサファリのバスが止まるが、観光のためバスを降りた瞬間に辺りが暗転して夜になる。一緒にバスに乗ってきた乗客もいなくなり、バスもなくなる。

辺り一面が真っ暗になり何も見えないので、取り敢えずその場に座り込んで地面を探ると、雄ライオンのうんこ由来底なし沼に触ってしまう。その頃にはどうせこんな突拍子もない現象は夢だと思ってその場に座り込んで動かないでじっとしていると突然、顔のすぐ横に動物の気配と鼻息がした。

 

(起床後の感想)動物の気配が物凄くリアルで、目を覚ました後もしばらくビビりが抜けなかった。

 

8月27週(曜日記憶になし)の夢

ある秘密機関では排便記録を職員に口頭で報告させていた。排便の報告は任意ではあったが、その内「正直者でできる職員は己の排便も気持ちよく報告するものだ」という雰囲気が醸成され、皆が己の排便記録を元気よく口頭報告するようになった。

 

(起床後の感想)うんこネタの夢が続いたのでちょっとおもしろかった。つまり↑の夢は日曜日の夢、以降の夢は月曜日以降の夢ではないだろうか。

 

8月27週(曜日記憶になし)の夢

友達(という設定の見知らぬ架空キャラクター)と家族ぐるみで何らかの試合の観戦に行く。

ここで血縁という設定のじいさんとばあさんを車椅子のようなものに載せて移動していたが、スタジアムには階段が多くまたスロープなども整備されていなかったので、このじいさんばあさんをどう運搬するか右往左往して観戦どころではなかった。

 

(起床後の感想)実際車椅子での観戦は大変だろうなと思う。今はスロープも整備されているんでしょうか? スタジアムに最後に行った記憶が朧気なぐらい足を踏み入れていないんですけれども。

 

8月27週(確か平日)の夢

磯野フネを主人公にした長谷川町子の最新作

 

(起床後の感想)意地の悪いばあさんを主人公に据えていた長谷川町子が磯野フネというあまりパンチのある印象のないキャラクターを主人公にした時、どういう展開になるのか若干興味がある。

 

 

8月~9月上旬に昼寝(10分)した時の夢

山奥に引っ越した自分は「領主の関係者」として屋敷の中に広い部屋を与えられたが、入れ替わりに去る領主を見送るときの服を選ぶために自分に与えられた部屋に戻ろうとしたら、広く見慣れない屋敷の中でとんでもなく迷う。今更玄関の場所も分からない。当然領主は去った後だろう。

こんなことなら着の身着のまま領主を見送るべきだったなと後悔しながら自分に与えられた部屋に何とか辿り着いたら、室内に知らん奴らがいたのでタコ殴りにしてベランダから投げ捨てた。

 

(起床後の感想)10分の仮眠で見る時間経過の夢ではなかったので、「絶対寝過ごした」と思って起きてから時計を凄い見た。大丈夫だった。

 

 

大量に残っているツイートの下書きを見たところ、どれも8月最終週~9月第一週頃の下書きと思われる。

8月27週は27日(日曜日)~9月2日(土曜日)までの七日間あるので、このうち四日は記憶に残る夢を見ているということになります。なお、10分昼寝した時の夢はどこに換算していいかわからないのでここでは置いています。

27週の前週が全く眠れなかった不眠徹夜ウィークなので、やっぱり睡眠の質がこの週もあまりよくなかったのかな、と思っています。

今週は、今のところ夢を見ていません。夢を見たような気もするけれど、起きてから数秒で蒸発するので、記録に至っていない。

 

 

*1:現在名目上TwitterというSNSは存在せず「X」があるのみですが、そんなことわざわざ書かなくとも現時点では明示的ですしあの名称が気に食わないので併記はしません。

睡眠がぐちゃぐちゃ(ミシェル・ウエルベック 著、野崎歓、齋藤可津子、木内尭 訳『滅ぼす』、河出書房新社、2023年)

 

金曜日から眠れていない。これは誇張表現だ。金曜日から月曜日に至るまでの間、0時頃に布団に入って、実際に就寝する時刻が4時~6時である。何故? こっちが聞きたい。

この原因には汚い部屋で身体を動かす努力をすることに倦み、ここのところ(数か月単位で)運動を全くしていないということもあろうし、労働をしているという状態に心のどこかで心底嫌気がさしている可能性はある(これまでも何回かあった)。

 

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「眠れない」のは働き始めて始まったことではない。

しかしティーン時代の眠れない夜って、将来の不安と死の恐怖で泣き暮らしていた覚えがあるが、今は涙も出ないで、ただ天井を見つめている。(8/18 明け方のGmail下書き)

 

私の不眠ルーチンは以下の通りです。

 

1時~4時 諦めて別のことをする時間

 

4時~6時 眠れないことを身体に詫びる時間

 

4時頃の朝日を見るといよいよ絶望的な気分になるので見ないようにしていたが、始発電車の発車音とやかましい雀の囀りで試みの失敗を知った。

 

入眠方法をレクチャーする情報はTwitter(現X)等にもあふれかえっている。

 

例えば米軍なのか海兵隊なのかが実践しているらしい「自由連想法」というものがよく目に入る、気がする。クレヨンしんちゃんでみさえがやっていた気がする。

私はこの手の自由連想をすると自我が必ず「死」に向かい、自我の喪失への恐怖でビンビンに目が覚めるのでこの手の連想はしないようにしている。

 

これまで一定の確率で成功していた私の入眠法は以下です。

 

1,毛布を被る――吸う息の二酸化炭素濃度を上げることでまず意識にぼんやりとしてもらう

 

2、数を数える――どうせ何を考えても死につながり恐怖コンボが始まるため、そこに向かう隙を作らない。

 

ただしこうして努力している内に眠気が遠ざかってしまうと、数を数える傍ら脳が勝手に連想ゲームを始め、死の恐怖が始まる。

 

 

そして迎える絶望の朝。

迂闊に朝日を見ると「今日と言う一日を無駄にした」という絶望*1、そして日頃酷使しているにも関わらずロクに休めてやれなかった目への申し訳なさから、希死念慮がわっと押し寄せる。そして死への恐怖がセットで大脳に入場、泣くことでせめてなけなしの体力を消費して見ようと試みると、怒りの男泣きになる。交感神経!!!!!!!!!!!交感神経!!!!!!!!!!!!交感神経!!!!!!!!!!!!!!!!ひきつけを起こしたような呼吸を毛布に包まりながら繰り返す。助けてくれ。何から? 他に助かる宛てがあるならとっくにどうにかしている、と思う。助かることがわかるのは助かり方がわかっている人間だけではないか。助かり方もわからないのに漠然と助けを求めている。入眠に失敗し続けている。

 

なので月曜日は朝5時ぐらいになってから入眠を諦めて、ウェルベックの新作を読み始めました。

 

 

土日の不眠後悔時間(明け方)で(上)を読み始めており、月の不眠諦め時間(1~3時)の時点で(上)の残りを読み終え、(下)の半分程まで読み進めていた。5時に一通り暴れてから、諦めて読み始めて7時頃に読み終わった。

 

かつて『セロトニン』についてブログ記事をした時に「句読点でつなぎまくった稀代の悪文*2が流通路にガッツリ載ってるのを見ると非常に励まされる」というようなことを述べましたが、今回の『滅ぼす』は、書いてあることは時々突飛*3ながら、文章としてはかなり読みやすいです。一文の中で時系列が入り組むこととか、ない。

逆にウェルベック作品で『セロトニン』みたいな稀代悪文例は、私が触れた中では『セロトニン』にしかないような気がする。『セロトニン』はあのぐっちゃぐちゃしっちゃかめっちゃか文章でこそ立ち現れる物語であり、それ以外はそうではない(むしろきわめて読みやすい)のではないですか? 2022年の著作が2023年に翻訳されてくるベストセラー作家はやっぱり違う! フランス語でどうなっているのかは存じませんが。

 

あらすじ

インターネットを介した謎の国際テロが多発する中、経済大臣ブリュノと秘書官ポールはテレビタレントを擁立し2027年フランス大統領選を争うことになる。一方で諜報機関で重役を勤めた父の脳卒中を切欠に、10年間完全に冷え切っていたポールの夫婦生活を始め、ポールの弟妹らの生活は徐々に変化していくが……

 

以下ストーリーの核心部分のネタバレを含みます。

 

*1:徹夜で行動できないので徹夜明けは一日を通して半死半生になる、何なら15時ぐらいまで眠っている。

*2:大学で論文指導を受けていた際に教授から「教授の恩師」の例に仮託しつつ頂いたお言葉

*3:その日見た夢の話をいきなり突っ込んでくる

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実は2時間実写監督による大説教を期待していた(「君たちはどう生きるか」(2022))

 


www.youtube.com

 

思い立って駅直結ショッピングモール内の映画館の席を購入し「これで上映時間ギリギリについたとて間に合うぞ!」と思っていたんですけど全然迷った。

 

  • 思ったより(というか、案の定)お盆のショッピングモールが混雑していた。

これは仕方がない。私が予測して動くべきだった。

 

  • ショッピングモールの東西を繋ぐ廊下が工事中で通行止めになっていた。

これはショッピングモールの入口に書いておいてくれよ。

おかげさまで5階と2階を三往復した。

 

 

ツイッター(X)見てたら入ってきた情報のひとつに「上映前の予告編が入らないから十分遅れとかで入ると普通に上映開始してるぞ」というものがあったんですけど、5階と2階を3往復してもまだイマジナリーフレンドの終着駅みたいな映画新作宣伝CMしてたので、これはセーフカウントとして頂けないでしょうか。宣伝CMガチ勢の方がいらっしゃいましたら大変申し訳ないんですけれども。

 

以下現在上映中の映画のネタバレを含みます。

 

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抵抗は服従よりも稀有(デーヴィッド・チャンドラー著、山田寛訳『ポル・ポト 死の監獄S21 クメール・ルージュと大量虐殺』、白揚社、2002年、296ページ)

貸出期間を限界まで延長しつつも完全に積んでいた本をどうにか読み切った。

 

www.mekong-publishing.com

 


ポル・ポト伝』は、1976年以降カンボジアを支配した急進的な共産主義政権(クメール・ルージュ)の指導者であるポル・ポトの出自から高校留年、フランス留学を経た彼がフルタイムの革命家になるまでの来歴、そして党内の政治闘争でのポジション等を伝記的に紹介する書籍で、改めてこういうのを読むと、やっぱフィクションってかなり滅茶滅茶な改変をして、何であれ魅力的ないし画面映えするように派手に描くもんなんだな~と思った。

これは単に私がこれまでこのあたりを知らなかったというだけですし、「改変」というより「史実に対するイメージ」の具現化といった方が適切な感じもします。それに勿論、フィクションはフィクションであってそれを史実として喧伝している訳ではないので、「フィクションである」と自己定義している作品であるのならば、フィクション的な手法としての改変は容認されるべきものだと思います。

 

 

他方何とか読み切った『ポル・ポト 死の監獄S21 クメール・ルージュと大量虐殺』は日本語訳だと「ポル・ポト」の文字がデカ目に強調され全面に押し出されていますが、内容としてはS21の成立経緯とその実態に関する研究成果紹介にあたるのではないかと思います。

 

S21は主に「政治犯」(ポル・ポト政権下のカンボジア民主カンプチアの世界観では「(およそ更生不可能な)党に対する裏切者」)とされた人物を収容し、拷問を含むあらゆる手法によってその人物が党に対して犯した「裏切り行為」とその「協力者」を自白させるための組織であり、本著の中では「唯一の警察機関」云々というような触れ込みで紹介されていた。

というのも、民主カンプチアの上層部は基本的にフルタイム革命戦士であり政治や行政の素人、かつ以前の政権(ロン・ノル政権)でこういった要職に着いていた人間をことごとく処刑・既存の役職からの解雇・農村送りにしたので、この手の行政機関運営にあたっては適切な人材がいなかったしそもそも人材が少なかった。

この本でも、「S21は、投獄、捜査、司法、防諜などの機能を併せ持っていた。*1」と紹介されている。手広い。このS21は「サンテバル(治安警察)」と呼ばれることもあったらしいが、他国のこの手の警察(治安警察・防諜組織)が国内の各地や国外に要員を派遣する一方、S21はプノンペンの一角以外に要員を配置することはしなかったし、政策を策定する部局もなかった。また、民主カンプチアには法典や司法制度も無かったので、この機関の存在意義や職務などを定義する法律は存在しないらしい。マジの無法。

 

以下、かなり大雑把な説明になりますが、

直接的にはベトナム戦争の煽りを食ってカンボジア領内は空襲を受けまくった結果米作が出来なくなり、多くの農民は共産党に入党。当時の親米ロンノル政権はそれ以前のシハヌーク王の統治時代から部分的に引き続いて共産党を強く弾圧しており、この「弾圧者」に対する憎悪を力に変えて漲らせつつ革命戦士たちはプノンペンに入城した(プノンペン陥落)。

プノンペンを陥落しロン・ノルから政権を奪取したクメール・ルージュは、この首都を拠点に新たな国家を作ろうとはならなかった。彼らは1971年以前に革命戦士たちが苦境に陥っている中、プノンペンでヌクヌクと暮らしていた(とされる)プノンペン住民をまとめて農村に追い出し、首都を空っぽにした。党内でのこの決定について、本の中ではそもそもが「憎悪」によって団結した団体なので、引き続き「憎悪」による結束強化の方策を取ったというような紹介があった覚えがあり、うろ覚えながら印象に残っている。かくして党は空白地帯にした首都の一角にある高校の校舎をS21とし、ここに「政治犯」とした人々を収容して「自白」を強要した後、その九割を機密保持のために殺害した。これらの人々を殺害した現場の一つが、プノンペン郊外チェンエクのキリングフィールドである、らしい。

なお、ここまでで「政治犯」がカッコ付きなのは、ここに囚人とされて収容された人々が必ずしも自白通りに遠大な政治的な謀略を巡らせていたかというと、そうであるとも言い切れないからです。党がそうだと言えばいかなる人間も「政治犯」に仕立て上げられる状況下で収容され、拷問を含む諸々の取り調べによって「罪状と協力者の自白」を強要され、この自白を元に露わになった「裏切者の糸」と称された裏切者ネットワークからさらに浮上してきた名前を逮捕→尋問→裏切者を洗い出すという流れが確立されていた。党は絶対的に正しいので、裏切者ネットワークに名前が浮上し、逮捕されたことがすなわち「政治犯」であることの証明であり、突如逮捕された昨日までの革命戦士・今日の「囚人」が「何故自分が逮捕されたのか」というようなことを聞くと、看守の方が「何故逮捕されたと思う?」と質問を返す流れがあったということが本の中でも紹介されていた。

 

また、本の中では拷問を含む取り調べを踏まえて得られた自白記録の他、看守側の記録も取り上げられている。これは元看守で「拷問に対して非積極的だったため」といった理由で「裏切者」と密告され収監された囚人の自白記録だったり、党の方針として少なくとも党員に記録を義務付けていたものと思われる自己反省の記録だったりする。

その中には、「効率的な拷問の方法~自白前に囚人を殺してしまわないために~」といった職務Tipsの他、「言われた仕事をしなければ自分たちが「囚人」になってしまう」「革命後は毎日仕事仕事でどこにも遊びに行かれないしお喋りもできない、家族にも会えない(革命前の方が良かった)」という記録があり、気が沈んだ。

 

ナチス・ドイツに関する書籍でもこの種の問題提起はありますが、「仕事」としてこの種の残虐性を含む職務が回ってきて、どれほどの人間がそれを、「己の良心」を理由にして拒むことが出来るのか? ということです。

 

 

これをしなければ仕事で干されるどころか、自分がこの暴力を向けられる側になる。

仕事で干されるぐらいで済めば御の字のところですが、しかし仕事をしなければ生きていけない、良心だけでは食っていけない。

「良心」がある人でさえその種の葛藤を強いられる状況では、より「普通」の、特段そういった事柄を意識をしていない人々は、より速やかにその残虐とされる業務に移るだろう。

 

特に20世紀の出来事に関する書籍を読んでいるとよく思う事ですが、個人の内心がどうあろうと権力側がお膳立てをすることで如何なることも成し遂げ得る状態になるし、この業務さえ遂行していれば(少なくともしばらくの間は)自分にその致命的な暴力性を向けられることはない。となると、その上でわざわざ飯の種にもならない「良心」を以て業務遂行を拒否できる人間はかなり少ないんじゃないか。

仕事だからってなんでもするのは良くないんですけど、それがあらゆる意味で生命線として扱われる以上、それってお題目でしかない。

ので、仕事を振り分ける権力側(これは国でも国ではない形の組織にも言えますが)が非暴力であることを標榜し、あらゆる権利尊重を謳うことは必須ではないか(この手の組織が人間に暴力をさせるように仕向けることはあまりにも容易いため)ということを思いますが、複数の人間を統制し、秩序だった状態を維持することで「人間を善良で居させる」ためには、少なからず権力の元における秩序だった暴力が不可欠なのはそう。「抵抗は服従よりも稀有なのだ*2」。

 

 

 

ところで、ここで主な対象として紹介されている「S21」は現在博物館になっていて、この博物館に私は行ったことがある。

 

トゥールスレン虐殺博物館(2016年3月撮影)

本の中では「本件に関する膨大な文書記録の展示がある」とのことだったんですけど、正直、文書記録の展示があったかどうか記憶にない。他の展示物が視覚的に強烈過ぎて、そっちの記憶ばっかり残っている。

自分が旅行した時はたしか室内展示は撮影禁止だったような覚えがあるので、自分のクラウドの中に室内の状況がわかる写真は存在しないが、ネットでこの博物館のことを検索するとバンバン室内撮影した画像が出て来て、状況をより明確に思い出し若干具合悪くなったりもしたので、あれはもしかするとあくまで「フラッシュ撮影の禁止」であって撮影の禁止ではなかった(私の誤読)、または、2016年以降にルールが変わったのかもしれません。インターネットにはならずものがいっぱいいる可能性も無いとは言いませんが。

 

mainichi.jp

 

いずれにせよ何とか本を読み終わったので、これを延滞付く前に返す!!!!!!‼!と意気込んだところで、借りたまま延長するだけして忘れていた存在を思い出しました。煉瓦みたいだったので、目の届くところにあっても本だということを認知していなかった。あーあ。

 

*1:デーヴィッド・チャンドラー著、山田寛訳『ポル・ポト 死の監獄S21 クメール・ルージュと大量虐殺』、白揚社、2002年、52ページ

*2:同上、296ページ