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社会人ちゃんの日記

酒は毒(October editions)

10月の飲酒日記、こんな感じ。

 

画像は「Stable Diffusion Online(https://stablediffusionweb.com/)」を使用して生成

 

 

大学時代の同期ちゃんに会いに大阪に行った(新幹線往復三万円)。

以降は「大阪にいる同期ちゃん」を「同期Aちゃん」、

「一緒に酒を飲んでいるとき話の流れで同期Aちゃんに連絡をし始めその場のノリで大阪行きの日程が決まったので、一緒に大阪にいくことになった同期ちゃん」を「同期Bちゃん」と呼びます。

 

同期Aちゃんと同期Bちゃんは大学同期ちゃんたちの中でも酒の豪のもので、飲み会があるとその飲酒量から東の横綱西の大関と喩えられていました。

ここから同期Aちゃんを「大関」、同期Bちゃんを「横綱」と喩えます。私は草履持ち。

 

草履持ちが三軒目の店から宿に向かう時の姿勢がこれです。

 

 

正直、記憶がない。

一件目の立ち飲み屋は覚えている。

古風な喫茶店がお冷を提供してくるサイズのグラスコップに、「水か?」ってぐらい日本酒を注いでくる居酒屋だった。

 

 

その一か月前に自分が日本酒が飲めるようになっていることに気付いたのは東京のこじゃれた居酒屋(着席タイプ)でしたが、そこで出てくる日本酒は、いかにも酒用っぽいこぶりのグラスにメモリが着いており、下のメモリは600円、上のメモリは900円、日本酒が入るグラスよりも三倍の高さのグラスに氷水が入って出てくる店だった。

一方、大阪の立ち飲み屋で出てくる水は、普通に飲食店でお冷入って来る程度のグラスにそこそこ入って出てくる程度なので、ぜ~んぜん酒の方が多かった。全部一杯600円

 

 

 

二軒目の飲み屋も覚えている。

横綱がそこの卓で吐きかけていたのを、大関と一緒に励ました覚えがある。

あと、店内BGMのメニュー表があり、メニュー表にない曲を注文してヘドバンしていた記憶もある。

 


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三軒目には、カラオケに行ったらしい。

 

ここからあまり記憶がない。

 

残された写真によると、二軒目と三軒目の間にお散歩して大阪新喜劇の建物を見に行ったりしたらしくて、最高の笑顔で写真に映っている自分が、後日ラインのアルバムに現れた。素面のときは、こんな満面の笑みで写真に映れない。

「正しい思春期」を送ってこなかったので、青年期を迎えるまでに獲得するべき「写真映り」の技能を持っていない。カメラを向けられるとどうしてもぎこちなく笑ってしまうし、取ってつけたようにピースサインをするんですけど、記憶がないぐらい酔っぱらうとすごく楽しそうに笑えるようです。

こうなったら、全ての写真撮影の前に泥酔をするべきでしょうか。するべきではないんですけれども。

 

三軒目だったカラオケ館は、便所のことを覚えている。

個室ドアの外で私の回収を試みる大関の声を覚えている。私は便所の床に丸まって寝ており、「あと五分寝かせてくれ」と、声掛けを鬱陶しく思っていることを隠しもしないような声でしきりにせがんだ。するとドアの向こうの大関は「そう言ってあんた30分寝てるよ」と言いながらドアの隙間から手を入れると、床で丸まっている私の髪をひっぱって起こそうとしたことをよく覚えている。

 

横綱はなんかそこでケロっとして、カラオケをしていた。

アルコールに対する大関の強さは分解速度の速さか何か知らんもののいっこうに健康状態を損なわない鉄壁さ、そして横綱の持ち味は泥酔状態から回復する速度なのだろう。

 

 

翌朝、ここから奇跡的に回復した。

コンビニで買ったユンケルの錠剤が良かったんだと思う。

あとカラオケで吐くものが無くなり黄色っぽく苦酸っぱい汁を履き続ける段階まで吐いたのが良かったのかも。

 

 

強化人士との飲み会で泥酔した時とは、回復のスピードがまるで違う。

 

多分ユンケルと浅いながらも横になって寝ているお陰で、二日酔いに起因する諸症状(身動ぎができないような強い倦怠感、吐き気、重い風邪と勘違いするような頭痛等)はきれいさっぱり消え去っていた。

後に残ったのは、瓦礫のようにがらんどうの身体だけ。

起き上がれるし、歩けはする。しかし食事をすると吐き気がポップアップしてくる。とはいえ腹は減るし、限界まで吐き戻しているので体力も携帯の充電も35%程度。

たこ焼きも食べずに新大阪に向かい、駅地下街の喫茶店で適当に頼んだら大量に出現したサンドイッチを水で流し込むようにひいひい完食。さっさと新幹線に乗り込んで帰還した。

 

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今回の敗因

旅行先でチェイサーもろくに入れずに日本酒をガバガバ飲んだこと

 

しかし「適量の飲酒」は当然掲げられるべき麗句ですけれども、酒って、何も考えずに飲んでいる瞬間が一番楽しい。

タバコもコーヒーもフグも何もかも毒ですが、他の毒は毒だから旨いというわけではなく、過ぎると速やかに「毒」感を出してくるというのに、どうして酒は適量を行き過ぎたところがあんなに楽しいのか。

 

毒を飲んでギリギリ明日に尾を引かないラインを見極めながら、千鳥足で歩くのがきっと一番楽しい。酒のいいとこどり。しかしその考えは甘く何となれば欺瞞であり、千鳥足なんかで歩くとそのまま踏み外して骨を折るのではないでしょうか。

それに、「まだ自分は正気で、頭がはっきりしていて記憶もあるのだから、ここから自分で飲酒量をコントロールすることが出来る」という思い込みで千鳥足で歩いていると、いきなり記憶が飛ぶ回もある。今回のように。

 

改・今回の敗因

アルコール度数を気にせずガバガバ酒を飲んだこと。

その上で自分は飲酒量をセーブできるという甘い見通しを頑なに持っていたこと。

 

改善策

アルコール度数の少ない酒を飲んで、様子を見ながら飲酒を進める。

←でも最近日本酒を飲めるようになってしまって、平均アルコール度数15度液体が舌の上を通過しても、「これは手を拭くアルコールの味だ」と判断して渋れなくなってしまった。これが老い(毒物を感知するセンサーが弱まっている)ということなんでしょうか?

 

 

飲酒が法律で禁じられていた年齢だった頃、私は酒乱の父を見て「どうしてあんなに酒を飲むのか」と思ったものですが、いや、これは嘘、思わなかった。酒乱は酒を飲んでさえいれば機嫌が良かったので、別に、いくらでも飲んでくれていいと思っていた。

飲酒が祟った親の身の心配より、酒を飲まずに親が怒り狂っている時、自分の身に及ぶかもしれない危険の方が肌身に感ぜられたからだ。とはいえ酒を飲んで暴れる時も危険なので、できれば「酒を飲んで気持ちよく寝てくれ」ということしか考えていなかった。

でも酒乱は酒に強いから、しこたま飲んでも(意識の有無は兎も角)平然と動く。動けるので物損するし、自損もする。

 

物心ついた頃からその手の酒乱と同居していたので「何でああなるまで飲むのか」というのを疑問に思ったことが無かったものの、今になると、酒を飲んでさっさと辛く苦しい労働の意識を飛ばしたかったのだろうという他にも、酒を飲んでアルコール成分によって気が大きくなり、「楽しそうな酔っ払いになること」が楽しかったのではないかと思った*1

こうなって今初めて、父なるものが理解できたし、私はあれに似た感覚的な才能がある。

もし私の身体が酒に強かったらああなる可能性があったので、酒を飲んで異常作動する脳味噌で暴れるよりも先に、酒が作用して歩くことしかできなくなる程度の脆弱さを持っている肉体で良かったなと思います。

 

あと、単純に前回も今回も運が良かった。下手したらエレベーターを降りている時点で立っていられなくなって落下して、大阪で骨を折っていたと思う。

 

飲酒と酩酊、極めて危険な行為です。自分の身を危険に晒す瞬間が一番楽しい。飲酒は一般的な海外旅行保険の範囲内で楽しめるスカイダイビング*2。登山辺りと同じような括りの趣味*3。相当危険なんですけど、平然と受け入れられている。

 

 

*1:私が見ている段階では既に中毒になっており、「楽しいとか楽しくないとかいう段階ではなくまず飲まないと何もスタートしない」という状態になっていたとも考えられます。

*2:(参考)スカイダイビングやハンググライダーは危険なスポーツに該.../損保ジャパン(最終閲覧日2013年10月27日)

*3:【クイズ】登山とかいうクレイジーな趣味で、誤解されがちな知識6選【ずんだもん&ゆっくり解説】 - YouTube(最終閲覧日2013年10月27日)