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社会人ちゃんの日記

(生)牡蠣の効能

 

年度末ですが、生牡蠣を食べた。人手不足の事務所で歯車の方をさせて頂き、日ごとに毎回違う業務イベントが発生している大年度末の最中に、である。大丈夫? でも自分の記録を振り返ると、出張前にも急激に牡蠣を食べたくなっていた。そう考えるとむしろ、よく我慢した方ではないでしょうか。

 

※牡蠣を食って酒を飲んで気持ちよくなり、酔いが回って腹を冷やして気持ち悪くなるところまでシームレスな記事※

 

 

 

 

 

年度末

年度末 今この瞬間になんの懸念もなく海に行けないなら、死んだほうがマシだ! という気分で過ごす時間が四六時中続くので、良くない。

「これが終われば」とか、「あと3週間で」とかいう慰めはこの日々に存在しない。

「今ここ」の自分が、今ここで、毎日死んでいく。

少しでも自分の死亡率を減らしていこうと思い、効率的に業務を終えるために諸々をリストアップしても、なんか、後から後から業務が無限湧きする。

あとなんか、そう言えば前回の年度末で「これは来年度に向けての検討ね」みたいな話をしたような、喉元過ぎて熱さを忘れたので、何もかも忘れていたような事柄を、なんか、ふっと思い出したりもする。

もうここから、「今、ここ」の私の死体を並べることになるのがわかっていながらにして、この案件の打ち合わせをするぐらいなら、今ここで側溝に飛び込んだ方が良いんじゃないか。さすれば少なくとも、年度末からは逃れられましょう。

 

というような状態になっている時に、お友達と生牡蠣を食べに行くことになった。

なんか、話の流れで。

直接的要因としては「ワンプレート半額キャンペーン」をやっていることを知ったからですが。

 

生牡蠣! おいしいです。

何がどうおいしいという表現を貝類に対してすることが難しいが、臭みが少なく、新鮮で、おいしい。芳醇な味わい……と思って「芳醇」の意味を調べたが、これは主に酒に対して使う言葉らしい。

 

牡蠣 美味しいんですよね。これを食ってるときには、「牡蠣を食べている!」以外のことを何も考えられなくなるぐらい美味い。

食べ慣れないサイズで、食べ慣れない質感をしたうまみ成分なので、処理能力が全部舌に持って行かれるお陰なのか、業務が嫌とか、労働を続けなければ経済的自由を得ることはできないとか、じゃあこれから先死ぬまで働き続けるのか、今すぐ何の懸念もなく海に行けないなら死んだって同じことだ、等、確かに感じていた諸々の不安に、脳のリソースを割くことができなくなる。

この触感、味、旨味を、何と言えばいいんでしょうか。いつから牡蠣を美味いと思い出したのか。これは、いつからウニを美味いと思い出したのかという疑問に近しいところがあります。アサリやハマグリは、遠い記憶からずっとおいしいんですけど、牡蠣やウニはそこから遅れて参加してくる。

 

www.hotpepper.jp

 

牡蠣の味ってどう表現すればいいんだろうと思ってネットの記事をいくつか見ていたところ、自分が食べた牡蠣も出てきた。兵庫県の室戸出身の牡蠣である。甘味のある貝柱の存在感がありつつ、柔らかい身は適度に塩っ気があるんですね、あれは。「牡蠣の味」というものには、このような語彙を使えばいいのか。

 

生牡蠣の他にも牡蠣を用いた軽食や酒、後は牡蠣の上に何らかの食材を載せる「カクテル」というメニューがあり、その中で私は牡蠣の上にウニを載せたとかいうものと、牡蠣の上に肉を載せたとかいうものを頂いた。

これはたぶん、おいしい人にはおいしんだろうが、わたくしの舌ですと、それぞれのうまみ成分が特に調和せず、舌の上で好き勝手やるような感じの印象になる。

そら、単体で美味いもんを一気に食ってるので、うまいっちゃ美味いんですけど、別に、これを一息に食わなくてもいいんじゃないだろうか。それぞれ求道すべき道筋があるにも関わらず、同じ船(貝)の上に載せられて、かといって、互いを高め合う訳でもなく、それぞれ違う水際に足を突っ込んでバチャバチャ遊んでいるような味。バチが当たる味だなと思った。罰当たりの味。おいしかったです。


生牡蠣を食べた後、終電で家に帰る。

かくして、お友達と生牡蠣を食べたあと最終電車で帰りつつあります 今。

次の日は通常通りの営業日ですし、締め切り期日が近い業務がリオのカーニバルのようにずらりとお祭り騒ぎをしているので、この内「どれか一つを他人に引き継ぐ」というタスクの方が重い。自分でやった方が早い案件が、どこまでも数珠つなぎになっている。こういうの、本当に良くないと思います。

失踪への意識は高く常に引き継ぎ書を作っているんですけど、引き継ぎ書なんて作ったところで、「知ってる奴に説明させた方が早い」のは事実なのでほんと、誰も読みやしない。「説明を聞き、次回以降一人でやる時に手順書を確認する」のが通例となっているし、自分にもそういうところがある。どうすれば改善するんでしょうか。

 

そんな業務スケジュールの中で「もうどうなってもいい!」と思って牡蠣を食い酒を飲み、それでいて往生際悪く終電に飛び乗ったので、結果としておしっこ漏らしそうになりながら電車に揺られているんですけど、これ、最終電車に最終電車を乗り継いでいるので、オシッコしに行った瞬間電車帰宅の線が消え、交通費が跳ね上がる。

おしがま最終電車。そういう企画の名前でありそう。果たして社会人ちゃん、漏らさずに賃貸のお家に帰れるのでしょうか。気を紛らわせるために、日記記事の下書きを書き出している。

 

ド平日の山手線ではカップルが等間隔で鈴なりになって椅子に座っており、雰囲気や会話のそこかしこから「前戯」の気配が漂っている。

 

一方、こちとら単身のおしがま。

お友達と会って話すことといったら、近況を覗いたら墓と終の棲家、或いは親の介護の三択。オタクの友達を持たない場合、大体こうなる。

 

上司ちゃんの商業BL指数や、今季のあのアニメや映画のアレがどうだったとかいう話をすることもありますが、共通の話題は「不安」。これは間違いないです。

漠然とした不安の話をしながら飲酒をすると(そうでなくともそうですが)、まず平衡感覚に来る。私はグラスワイン×3~4と700mlビール×3を頂き、今平衡感覚に異常をきたしている。

歩ける、喋れる、ただし「イカれている」という感覚が常に付き纏う。

 


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この感覚は危なっかしいが、楽しい。

自分の肉体が自分の自由にならないものとして存在するが、不快ではない(発病した場合も自分の体が他人のもののようになるが、この感覚は往々にして苦痛を伴う)。

 

とはいえ便所には早く行きたい。終電を目掛けて都心の電車を乗り継ぐ合間にも辛うじて漏らさなかったものの、もしも私が外性器をチャックの間から露出すれば排泄可能な肉体を持っていたのなら、そうしたでしょうね、という程度の切羽詰まり方。

 


無事、尊厳を保って帰宅をした。

「自分の家」と認知しているエリアに入ると諸々の閾値が下がるのか、今は打って変わって「ゲロを吐きたい」という気持ちを抱えている。

 

吐きそうだし着替えていないし小便は行ったけど、今はゲロを吐きそう。

外出にあたり社交として化粧をしているので、顔を洗う必要がある。ゲロを吐きそう。はきそ。まんじりもせずに寝床に横たわって天井を見上げながら、便所に寝床を準備してから出かければよかったと恨めしく思う。

 

というのも、ゲロさえ吐けばこの気分の悪さは軽減するだろうから。便所に毛布を敷いてレイヴに行く人間の行動を面白おかしく切り取った、インスタグラムの投稿を思い出す。

その日、勤務時間中のクソみてえなオメー今更それいうのかよっていう事案も、お友達と久しぶりに会話が出来て楽しかったなとかいうことも、色々あったんですけど、今は、ここでゲロ吐きそうなのが全て。飲酒はアウグスティヌス的な時間論に人間を近づける。今が全てだ。

日曜日の夕方どころか朝、何なら土曜の午後辺りから次営業日のことを考えてしまって憂鬱になること、夜眠る前に明日の業務が嫌すぎて眠れなくなることも全て飲酒をすれば解決するのでは? 血縁のある一親等が中程度のアル中じゃなかったら、ここから社会人ちゃんの肝臓に負荷をかける日々が始まったかもしれない。

 

 

 

うたた寝(2時間)から起床する。

これによって少しは吐き気がマシになるが、化粧を落とし着替えをして排便をし、あとは歯も磨きたいという肉体の欲求に脳の方がついてこられず、茫然と天井を眺めながら午前二時を過ごしている。

でもこれ、ノンアルコール営業日(feat. 眠るのが嫌。朝起きたら仕事が始まってしまうから)よりも、遥かにマシな気分なんですね。

何かを考え込むぐらいなら何も考えられずに茫然とする方が、憂鬱に対する対処法としては良いのかもしれません。ノンアルコール営業日の気分が最悪すぎるという可能性はある。手足は冷え切っている。

 

小一時間茫然としてから排便に行き、便が形も保てずベシャベシャになってダウナーな臭気を放っていることを確認する。

直前に生牡蠣を食べたので、これは別に、驚くべきことでもない。ノロウイルスですか? と思いもしましたが今のところ腹痛はない。午前三時。ノロウイルス感染のことを考え、吐き気を思い出す。

 

とはいえ積極的に嘔吐する程の気分でもなかったので寝床に戻り、茫然とする。三時半。K2を読んでいたら気分はいくらかマシになりましたが、相変わらず排便は液状化している。腹痛はない。

 

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翌朝

結果として明らかな寝不足(4~5時間以下)ですが、牡蠣には栄養が沢山あるので、仕事が嫌すぎて二時間睡眠出社の時より、心持はかなり穏やか。何なら普段の営業日より、陰惨な気分にもならない。睡眠不足と飲酒の余韻によって諸々の感覚を麻痺させながら、スムーズに業務に入る。

 

牡蠣を食って酒を飲んでメチャメチャになりたい。もうどうなってもいいという動機で年度末は営業日どまんなかに生牡蠣を食ったんですけど、それとは裏腹に業務に向けて「整って」しまった感さえある。

牡蠣をはじめ、飲酒とそれに供される類の食事は短期的に社交性(「労働をして生計を稼ぐ」という考え方に自分の脳を適合させる能力)を底上げする力があるのかもしれません。果たして本当にそうか? 

 

何をどうしてもあらゆる活動が業務へとつながっていってしまうような、営業日と営業日のはざまで息を吐く間しか自分の時間を持つことのできない今の暮らしこそが、この上なく恐ろしいものなのではないか。

しかしこんな状況下でも満足に生計を立てさせていただけているんだから、それはそれでいいのではないか? 肉ある人間一人一人を、団体を動作させるためだけのひとつひとつのネジや歯車にするなという気持ちと、一定時間歯車になっているぐらいで喫緊の生存に困らないんなら、それでいいだろうという気持ちが、同時に存在する。心が二つある。