tanpa

社会人ちゃんの日記

冬のソナタ

の、最終話だけを見たことがある。同人活動に手を染める前のことなので、もしかすると20年ぐらい前になるのかもしれない。自分の人生に「20年前」という尺度が現れたことに恐怖を感じる。恐怖はさておき、私は『冬のソナタ』の最終話だけを見たことがあります。20年ぐらい前に。

 

最終話でかの有名なヨン様は、彼に会いに来たらしい女性に気付かない。彼は失明していたからだ。経緯はわからないが。

失明をしていたヨン様は、床に落ちていたミルクパズルのピースにどういう訳か(たぶん足先に触ったか何かしたんだろう)気付くと、それを手探りで拾い上げて、壁に飾ってあったパズルの穴に手探りで嵌めた。

このシーンに前後する回想か、或いは全く別のシーンなのか、記憶は定かではないのですが、「冬が終わった」というセリフが、最終話の中にあった記憶がある。それに続けて、「だから空が低く見える」というようなことを、言っていた気がする。たぶん、ヨン様の台詞だったと思う。

 

何もかもあやふやな記憶ですが、「冬が終わる」と「空が低く見える」という言葉は、感覚として理解できるものだった。

当時の私は濃尾平野に住んでいた。最近までこれを“のうみへいや”だと思っていた。平野の冬の空気は乾燥して澄み切っているので、空は高くまで見えるし、景色は遠くの山まで見える。しかし冬が終わると、空はPM2.5だか黄砂だか花粉だかで濁って、遠くまで見えなくなる。空が低く見える。これだけがしっくりと腑に落ちて、そのセリフだけを今までずっと、『冬のソナタ』の台詞として覚えている。

 

 

 

20年後……

 

パソコンを相手取る仕事を頂き、極論「どこにいたって務まる」にも関わらず、大リモート時代に陰りが見え始めていますが、ひとまず、今のところは大在宅時代継続、見上げたところで見知った賃貸の白い天井が見える暮らしをしている。おおむね快適。これで労働がなく給料だけが振り込まれていたら、完璧だった。

 

そうやってここ二年程、日がな一日ほぼ屋内に引きこもる暮らしを続けていますが、先週一週間ほど遠出をして戻ってみたら、季節が完全に変わっていた。春先にだけ脳内に現れるペ・ヨンジュンが、「冬が終わった」とモノローグをしてくれる。

「冬」の間じゅうは特に問題としていなかった寒さが解けて初めて、「あれは寒かったんだな」ということに気付く。外出をする時には常に脳のバックグラウンドで再生されていた「寒い寒い寒い」という思考が再生されず、外を出歩いていても妙に静かな気がするし、一日を過ごして感じる疲労度が減ったような気がする。

なので、オフィス出頭時に弁当をこさえてみたり、シンクに溜めずに皿を洗ってみたり、床に直置きしており日々跨いでいた洗濯物をどうにかしようかな、という気持ちになる。人間がこうも行動的になるということは、況や虫をやということですし。

 

賃貸契約を結んで間借りしている部屋に、マジで虫が出る。

暖かくなってくると一日一回コバエを見ないということはない。地上に近いところに間借りしていることは最初からわかっているので、せめて虫が入ってくる経路を減らそうと私は極力窓を開けない生活をしているのに、湿気をどうにかするために付けたエアコンから、なんか、虫が入ってくる。小さいクモとかは、一日二回は必ず顔を合わせる。近隣住民。

部屋に住み始めた当初は、私が家賃を払っている部屋に我が物顔で出入りする虫の存在を許せなかったので、視界に入ってきた小蜘蛛を潰すことでカルマ値を上昇させていましたが、キリがないので止めた。海砂利水魚って程じゃないんですけど、本当に、そこそこいる。一日二回は見る。これが最低値。

 

ここから時が経てまた真夏になると、外出する度ドア前でセミが死んでいるんじゃないかとヒヤヒヤし、セミファイナルに出くわすことを極力避けようと屋内に引きこもったとしても、窓に何かがぶつかるカシャンという音がして、「窓の向こうにセミが激突した音かな?」と思って様子を見ると、巨大! クロゴキブリが部屋の上空を旋回したりするのかと思うと、冬は本当に、いい季節だった。

エアコンを点けずとも、夏よりは命の危険を感じないし*1、まあちょっと寒いかなと思って布団に潜り込むと、いつの間にか眠っていたりしますけれども、

それでも、ちょっとゴミ出しに失敗しても部屋に食品を放置したとしても、部屋全体が冷蔵庫みたいな室温になるので全く問題がない、虫も出ない。シンクが異臭を放つこともない。この点において私は、自らのズボラさが招く結果から保護してくれる冬という季節を愛しており、名残惜しいと思っている。

 

 

*1:降雪のない地域に居住している