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社会人ちゃんの日記

睡眠がぐちゃぐちゃ(ミシェル・ウエルベック 著、野崎歓、齋藤可津子、木内尭 訳『滅ぼす』、河出書房新社、2023年)

 

金曜日から眠れていない。これは誇張表現だ。金曜日から月曜日に至るまでの間、0時頃に布団に入って、実際に就寝する時刻が4時~6時である。何故? こっちが聞きたい。

この原因には汚い部屋で身体を動かす努力をすることに倦み、ここのところ(数か月単位で)運動を全くしていないということもあろうし、労働をしているという状態に心のどこかで心底嫌気がさしている可能性はある(これまでも何回かあった)。

 

tan8.hatenadiary.jp

 

「眠れない」のは働き始めて始まったことではない。

しかしティーン時代の眠れない夜って、将来の不安と死の恐怖で泣き暮らしていた覚えがあるが、今は涙も出ないで、ただ天井を見つめている。(8/18 明け方のGmail下書き)

 

私の不眠ルーチンは以下の通りです。

 

1時~4時 諦めて別のことをする時間

 

4時~6時 眠れないことを身体に詫びる時間

 

4時頃の朝日を見るといよいよ絶望的な気分になるので見ないようにしていたが、始発電車の発車音とやかましい雀の囀りで試みの失敗を知った。

 

入眠方法をレクチャーする情報はTwitter(現X)等にもあふれかえっている。

 

例えば米軍なのか海兵隊なのかが実践しているらしい「自由連想法」というものがよく目に入る、気がする。クレヨンしんちゃんでみさえがやっていた気がする。

私はこの手の自由連想をすると自我が必ず「死」に向かい、自我の喪失への恐怖でビンビンに目が覚めるのでこの手の連想はしないようにしている。

 

これまで一定の確率で成功していた私の入眠法は以下です。

 

1,毛布を被る――吸う息の二酸化炭素濃度を上げることでまず意識にぼんやりとしてもらう

 

2、数を数える――どうせ何を考えても死につながり恐怖コンボが始まるため、そこに向かう隙を作らない。

 

ただしこうして努力している内に眠気が遠ざかってしまうと、数を数える傍ら脳が勝手に連想ゲームを始め、死の恐怖が始まる。

 

 

そして迎える絶望の朝。

迂闊に朝日を見ると「今日と言う一日を無駄にした」という絶望*1、そして日頃酷使しているにも関わらずロクに休めてやれなかった目への申し訳なさから、希死念慮がわっと押し寄せる。そして死への恐怖がセットで大脳に入場、泣くことでせめてなけなしの体力を消費して見ようと試みると、怒りの男泣きになる。交感神経!!!!!!!!!!!交感神経!!!!!!!!!!!!交感神経!!!!!!!!!!!!!!!!ひきつけを起こしたような呼吸を毛布に包まりながら繰り返す。助けてくれ。何から? 他に助かる宛てがあるならとっくにどうにかしている、と思う。助かることがわかるのは助かり方がわかっている人間だけではないか。助かり方もわからないのに漠然と助けを求めている。入眠に失敗し続けている。

 

なので月曜日は朝5時ぐらいになってから入眠を諦めて、ウェルベックの新作を読み始めました。

 

 

土日の不眠後悔時間(明け方)で(上)を読み始めており、月の不眠諦め時間(1~3時)の時点で(上)の残りを読み終え、(下)の半分程まで読み進めていた。5時に一通り暴れてから、諦めて読み始めて7時頃に読み終わった。

 

かつて『セロトニン』についてブログ記事をした時に「句読点でつなぎまくった稀代の悪文*2が流通路にガッツリ載ってるのを見ると非常に励まされる」というようなことを述べましたが、今回の『滅ぼす』は、書いてあることは時々突飛*3ながら、文章としてはかなり読みやすいです。一文の中で時系列が入り組むこととか、ない。

逆にウェルベック作品で『セロトニン』みたいな稀代悪文例は、私が触れた中では『セロトニン』にしかないような気がする。『セロトニン』はあのぐっちゃぐちゃしっちゃかめっちゃか文章でこそ立ち現れる物語であり、それ以外はそうではない(むしろきわめて読みやすい)のではないですか? 2022年の著作が2023年に翻訳されてくるベストセラー作家はやっぱり違う! フランス語でどうなっているのかは存じませんが。

 

あらすじ

インターネットを介した謎の国際テロが多発する中、経済大臣ブリュノと秘書官ポールはテレビタレントを擁立し2027年フランス大統領選を争うことになる。一方で諜報機関で重役を勤めた父の脳卒中を切欠に、10年間完全に冷え切っていたポールの夫婦生活を始め、ポールの弟妹らの生活は徐々に変化していくが……

 

以下ストーリーの核心部分のネタバレを含みます。

 

 

 

あらすじを読んだ時はセカイ系だと思っていた。

冒頭~(上)に掛けてテンポよく国際的な大規模テロが発生するので、「このテロと主人公周りの人間関係がどこかのタイミングで関わってきて、『素粒子』や『ある島の可能性』のように、主人公が権力側/「物語る」側に立ったウェルベック作品におけるセカイ系というか、話のスケールが大きな物語なんだろうか」と予想を立てながら読んでいた*4違った。

今回の主人公は、その潮流に乗ろうとして翻弄される側として描かれる『プラットフォーム』ですらなかった。社会情勢との接続という点では、一応エムリックと重ねる部分がある存在として描かれる『セロトニン』の主人公よりも接続していないのかもしれない。

 

財務大臣秘書のポール(主人公)はこれまでのウェルベックの主人公と比較すると社会的な立ち位置はかなり上ですが、権力欲らしいものが描写されるでもなく、急に話の筋が見えなくなったなと思うと入眠した彼が見た夢のようなものが書いてある件に突入していたりする。脱力系というか、無気力系というんでしょうか。(上)の時点では食への志向の違いによって妻との夫婦生活が実質崩壊、セックスレス状態が10年近く続いている状態で、同じく夫婦生活が終わっており、官庁の宿舎に宿泊する大臣ブルノに夫婦生活終わってる者同士の負の連帯を見ている。

 

 

冒頭ポールが趣味としてやっているらしい駅構内の落書き収集の流れで描かれるインターネット上に掲載されたテロ実行犯らによる暗号文等が所々本文の挿絵に差し挟まれ、(上)の序盤で脳梗塞を起こし寝たきり状態になる元情報機関職員のポールの父が持っていた書類にこれらの暗号文に関するファイルがある等、何かと物語との関係が臭わされる割に、結局何というか、この暗号やテロリズムは、話の本筋には大して関わってこない。

その意味で、「滅ぼす」は間違いなくポールを主人公とした物語だと思う。もしもポールが愛国心に溢れて父の後を追うように情報機関職員になっていたり、政治的な野心に目覚めて経済大臣、ひいてはフランス共和国大統領なんかを目指すのであれば兎も角、他に仕方がないので何となく労働をしているポールの生活を描いているので、これは結局どこまでもミクロの話になりますし、テロはポールの人生には大して影響を及ぼさない。

この点が同じようにミクロな(個人的な)破滅を描くことになる『プラットフォーム』や『セロトニン』とは違うように感じた。両者はミクロではあるんですけど、マクロな動きが少なからず破滅に影響を及ぼしているため。

 

ポールの幸福な人生

 

そうなのか?

 

人生における幸福は一状態に過ぎず、主観を持つ一個人の終局はどれも縁側で穏やかな日差しに照らされながらポックリ老衰という穏やかなものばかりではない。人は死ぬし、死は悲惨。ウェルベック作品だとこれ下手に生き残ったせいでもっと悪くなっちゃったよ(生きるのに絶望することは死を選ぶのには十分ではない)という主人公が所々に現れますが、その中で、ポールの末路は十分に幸福な臨終であるように思う。

夫婦関係は何か知らんけど徐々に回復し*5、これからに希望を見せかけたところでそれがむなしく消えていくという描写は残酷なようにも思えますし、彼の肉体を滅ぼす病となる癌は病名としてよく耳にするものではありますが、悲惨であったり壮絶であったりする末路を辿ることになる病であることに違いはないんですけれども、少なくとも、彼の臨終までの道行には妻が側についていることが示唆されており、彼は何となく生きているセックスレス10年間より、彼は孤独ではないまま死んでいくのだろうという想像ができるという点で、ポールはフロランと比較するとある意味でだいぶマシではないか? と思わなくもない。

 

世代対立というか個人の問題

これは『プラットフォーム』と『セロトニン』を読んだ感想であり、一部『ある島の可能性』における若い娘にあくまで執着しボロ雑巾のように捨てられるおじいさんの描写を念頭に置いた感想ですが、

これまで自分が読んだことのあるウェルベックの作品の中では世代対立というか、まだ人権問題がそこまで取り沙汰されていなかった〝良き〟時代としての親世代と、個人主義と資本主義の対等により人間の間の分断が耐えられないところまで進んだ主人公の世代というものが対立して描かれているように思っていた。

 

その点、『滅ぼす』は家族が絡んでくることもあり幅広い世代のキャラクターが現れ、クソガキもいればそこそこ将来が明るいようなティーンも描かれる。暗号解読を通し仕事に目覚めている新入職員もいる。彼らは皆生命力に溢れている。うっかりピンポンマンションでポールと遭遇してしまう姪は生命力のある存在として描かれる妹(おそらくカトリックであること?がその象徴なんでしょうか)の血縁者であり、仕事に目覚める新入職員の配属先は父が勤めていた情報機関であり、本文にこれが書かれていたか忘れましたが、彼は「仕事を通して自己表現をする才に恵まれていた」ということになろうかと思う。

これは本文に書かれていた覚えがありますが「若い人間の悩みというのはその若さゆえに悩みにならない。」のであり、ポールが抱える問題は彼の来歴の問題(父親との確執、愛着の問題)であると同時に中年の危機を迎えているということなのかもしれません。或いは、文化財の修復という仕事に熱中し、ある種の生命力に溢れる記者と結婚したがために虐げられSAN値が低い弟のオーレリアンのように、「この世で生きるのに向いていない」ということかもしれませんが、それでもオーレリアンにもポールにも、人とのつながりによって幸福を得られた瞬間があり、幸福な瞬間があることと生存の才能があること、そして死が得てして悲惨であることはそれぞれ別個のものであり、その点死の瞬間まで孤独ではないことがはっきりしているポールは、まだマシということは言えるのではないでしょうか?

 

いや病気にならないのが一番マシだろ

言われてみれば(上)から歯医者行かないとな~~~~と言いつつズルズル引き伸ばしている描写あって「なんだろこれ気持ち悪い伏線だな」と思って見てたんですよね。

顎の癌が発見された時点で手術を選ばなかったことに対して妹は「兄弟二人に自殺されて楽しいと思う⁉」とポールを詰る描写があり、その時点で出来る手術というのが下あごの部分切除と舌の大部分の切除で確かにこらQOL下がるしちょっと考えるよな……というのは思いましたが、そもそも最初の時点でちゃんと歯医者行っとけよ。お前そんな金に困ってないだろ。まあ確かに大統領選で忙しい時期でしたっけ? 病院に行け。この自分を蔑ろにした結果として訪れる(下)の末路は、(上)における父の回復と対比する描写としてあるのかもしれません。いずれも♡なんか説明のない愛♡から起こる手厚いケアを受けており、いかにも孤独が蔓延る現代の状況下で孤独ではないこと。その点で彼らの死へ向かう下降は、この世におけるかなり幸福な形態として描かれているのではないかという理解はします。

『プラットフォーム』とか『セロトニン』が頭に刺さってるとどこかしらの書評で読んだ「人間が持つ幸福のイメージや道徳観が社会に対して遅れ過ぎており、ウェルベックは主人公の破滅を通してそれを繰り返し描いている(ので、『プラットフォーム』のようにいかにも都合よく獲得した幸福は土壇場で剥奪される)」という内容をわからんでもないなと思いながら反芻していますが、今回のこれはそう言った話をしている訳ではなさそう。「私たちは生きるのに向いていなかったね」は一つのキーワードではないかと思いますが。

 

 

 

ツイッター(X)で他者の感想を拝見しつつ、こういうのを現代的な作品と言い表すのか……と思いながら覚えている内容を反芻した。

確かにポールの関心は作中終始内側に向いており、テロを始め様々な同行は水族館の水槽の前を魚が行き交うようにポール個人の心象には何ら影響をしない。その無関心の骨頂がオーレリアンの自殺だろう。オーレリアンの自殺自体も「周囲への無関心」が生み出した帰結ということか。

 

 

睡眠が本当にボロボロ

※以下は本の内容と関係ないです

 

この本を読んで仮眠(2時間)を取った後勤務し、飲酒をして眠ったところ無事8時間程眠れましたが、その後に続く火曜水曜木曜金曜、0:00~1:00頃に眠ろうとし、就寝後一時間で覚醒、その後4時ぐらいまで眠る努力をしたり、諦めてゲームしたりしている。

 

何故私のこんなに睡眠がボロいのか。

 

運動をしていないからというのはまず第一に思い浮かぶんですけど、心が労働を嫌がっているからというのも思い浮かぶ。でも、労働しないと生活費が賄えなくって、生活費が賄えないと現状の生活をしていけないんですよね。そうするとこうやって睡眠がボロボロになって、運動をすればいいのかもしれませんけれども、部屋を片付けるには時間が要りますし、じゃあスペースを外注するっつってジムに行くなら余計に金がかかりますし、外を歩くには危険が伴う温度で、あ~~~~~~~~としていると夜が明ける。

夜が明けると「眠らなければいけない」という気持ちで張り詰めていた心が「もう起きていてもいいんじゃない」という心地になって少し緩んで仮眠ができる。

病院に行って薬を貰うか酒を飲むか、どっちがいいと思いますか? 今のところケチが勝ってほぼノンアルの生活をしているので、一旦酒でどうにかするというのも手じゃないかと思っています。

 

 

*1:徹夜で行動できないので徹夜明けは一日を通して半死半生になる、何なら15時ぐらいまで眠っている。

*2:大学で論文指導を受けていた際に教授から「教授の恩師」の例に仮託しつつ頂いたお言葉

*3:その日見た夢の話をいきなり突っ込んでくる

*4:本来の「セカイ系」という用法からは外れる誤った言葉の使い方をしている。(参考)星野太「セカイ系」現代美術用語辞典 https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB(最終閲覧日2023年8月25日)

*5:これが何故なのか私はよくわからなかった。『滅ぼす』はポールを主人公にした作品であり妻の心変わりの原因は何かよくわかりませんが、妻は妻で親の介護が発生しているようですので、親の介護に際して「中年にいたって孤独で居るのは賢い選択ではない」と気持ちを入れ替えたという話なのかもしれない。