tanpa

社会人ちゃんの日記

抵抗は服従よりも稀有(デーヴィッド・チャンドラー著、山田寛訳『ポル・ポト 死の監獄S21 クメール・ルージュと大量虐殺』、白揚社、2002年、296ページ)

貸出期間を限界まで延長しつつも完全に積んでいた本をどうにか読み切った。

 

www.mekong-publishing.com

 


ポル・ポト伝』は、1976年以降カンボジアを支配した急進的な共産主義政権(クメール・ルージュ)の指導者であるポル・ポトの出自から高校留年、フランス留学を経た彼がフルタイムの革命家になるまでの来歴、そして党内の政治闘争でのポジション等を伝記的に紹介する書籍で、改めてこういうのを読むと、やっぱフィクションってかなり滅茶滅茶な改変をして、何であれ魅力的ないし画面映えするように派手に描くもんなんだな~と思った。

これは単に私がこれまでこのあたりを知らなかったというだけですし、「改変」というより「史実に対するイメージ」の具現化といった方が適切な感じもします。それに勿論、フィクションはフィクションであってそれを史実として喧伝している訳ではないので、「フィクションである」と自己定義している作品であるのならば、フィクション的な手法としての改変は容認されるべきものだと思います。

 

 

他方何とか読み切った『ポル・ポト 死の監獄S21 クメール・ルージュと大量虐殺』は日本語訳だと「ポル・ポト」の文字がデカ目に強調され全面に押し出されていますが、内容としてはS21の成立経緯とその実態に関する研究成果紹介にあたるのではないかと思います。

 

S21は主に「政治犯」(ポル・ポト政権下のカンボジア民主カンプチアの世界観では「(およそ更生不可能な)党に対する裏切者」)とされた人物を収容し、拷問を含むあらゆる手法によってその人物が党に対して犯した「裏切り行為」とその「協力者」を自白させるための組織であり、本著の中では「唯一の警察機関」云々というような触れ込みで紹介されていた。

というのも、民主カンプチアの上層部は基本的にフルタイム革命戦士であり政治や行政の素人、かつ以前の政権(ロン・ノル政権)でこういった要職に着いていた人間をことごとく処刑・既存の役職からの解雇・農村送りにしたので、この手の行政機関運営にあたっては適切な人材がいなかったしそもそも人材が少なかった。

この本でも、「S21は、投獄、捜査、司法、防諜などの機能を併せ持っていた。*1」と紹介されている。手広い。このS21は「サンテバル(治安警察)」と呼ばれることもあったらしいが、他国のこの手の警察(治安警察・防諜組織)が国内の各地や国外に要員を派遣する一方、S21はプノンペンの一角以外に要員を配置することはしなかったし、政策を策定する部局もなかった。また、民主カンプチアには法典や司法制度も無かったので、この機関の存在意義や職務などを定義する法律は存在しないらしい。マジの無法。

 

以下、かなり大雑把な説明になりますが、

直接的にはベトナム戦争の煽りを食ってカンボジア領内は空襲を受けまくった結果米作が出来なくなり、多くの農民は共産党に入党。当時の親米ロンノル政権はそれ以前のシハヌーク王の統治時代から部分的に引き続いて共産党を強く弾圧しており、この「弾圧者」に対する憎悪を力に変えて漲らせつつ革命戦士たちはプノンペンに入城した(プノンペン陥落)。

プノンペンを陥落しロン・ノルから政権を奪取したクメール・ルージュは、この首都を拠点に新たな国家を作ろうとはならなかった。彼らは1971年以前に革命戦士たちが苦境に陥っている中、プノンペンでヌクヌクと暮らしていた(とされる)プノンペン住民をまとめて農村に追い出し、首都を空っぽにした。党内でのこの決定について、本の中ではそもそもが「憎悪」によって団結した団体なので、引き続き「憎悪」による結束強化の方策を取ったというような紹介があった覚えがあり、うろ覚えながら印象に残っている。かくして党は空白地帯にした首都の一角にある高校の校舎をS21とし、ここに「政治犯」とした人々を収容して「自白」を強要した後、その九割を機密保持のために殺害した。これらの人々を殺害した現場の一つが、プノンペン郊外チェンエクのキリングフィールドである、らしい。

なお、ここまでで「政治犯」がカッコ付きなのは、ここに囚人とされて収容された人々が必ずしも自白通りに遠大な政治的な謀略を巡らせていたかというと、そうであるとも言い切れないからです。党がそうだと言えばいかなる人間も「政治犯」に仕立て上げられる状況下で収容され、拷問を含む諸々の取り調べによって「罪状と協力者の自白」を強要され、この自白を元に露わになった「裏切者の糸」と称された裏切者ネットワークからさらに浮上してきた名前を逮捕→尋問→裏切者を洗い出すという流れが確立されていた。党は絶対的に正しいので、裏切者ネットワークに名前が浮上し、逮捕されたことがすなわち「政治犯」であることの証明であり、突如逮捕された昨日までの革命戦士・今日の「囚人」が「何故自分が逮捕されたのか」というようなことを聞くと、看守の方が「何故逮捕されたと思う?」と質問を返す流れがあったということが本の中でも紹介されていた。

 

また、本の中では拷問を含む取り調べを踏まえて得られた自白記録の他、看守側の記録も取り上げられている。これは元看守で「拷問に対して非積極的だったため」といった理由で「裏切者」と密告され収監された囚人の自白記録だったり、党の方針として少なくとも党員に記録を義務付けていたものと思われる自己反省の記録だったりする。

その中には、「効率的な拷問の方法~自白前に囚人を殺してしまわないために~」といった職務Tipsの他、「言われた仕事をしなければ自分たちが「囚人」になってしまう」「革命後は毎日仕事仕事でどこにも遊びに行かれないしお喋りもできない、家族にも会えない(革命前の方が良かった)」という記録があり、気が沈んだ。

 

ナチス・ドイツに関する書籍でもこの種の問題提起はありますが、「仕事」としてこの種の残虐性を含む職務が回ってきて、どれほどの人間がそれを、「己の良心」を理由にして拒むことが出来るのか? ということです。

 

 

これをしなければ仕事で干されるどころか、自分がこの暴力を向けられる側になる。

仕事で干されるぐらいで済めば御の字のところですが、しかし仕事をしなければ生きていけない、良心だけでは食っていけない。

「良心」がある人でさえその種の葛藤を強いられる状況では、より「普通」の、特段そういった事柄を意識をしていない人々は、より速やかにその残虐とされる業務に移るだろう。

 

特に20世紀の出来事に関する書籍を読んでいるとよく思う事ですが、個人の内心がどうあろうと権力側がお膳立てをすることで如何なることも成し遂げ得る状態になるし、この業務さえ遂行していれば(少なくともしばらくの間は)自分にその致命的な暴力性を向けられることはない。となると、その上でわざわざ飯の種にもならない「良心」を以て業務遂行を拒否できる人間はかなり少ないんじゃないか。

仕事だからってなんでもするのは良くないんですけど、それがあらゆる意味で生命線として扱われる以上、それってお題目でしかない。

ので、仕事を振り分ける権力側(これは国でも国ではない形の組織にも言えますが)が非暴力であることを標榜し、あらゆる権利尊重を謳うことは必須ではないか(この手の組織が人間に暴力をさせるように仕向けることはあまりにも容易いため)ということを思いますが、複数の人間を統制し、秩序だった状態を維持することで「人間を善良で居させる」ためには、少なからず権力の元における秩序だった暴力が不可欠なのはそう。「抵抗は服従よりも稀有なのだ*2」。

 

 

 

ところで、ここで主な対象として紹介されている「S21」は現在博物館になっていて、この博物館に私は行ったことがある。

 

トゥールスレン虐殺博物館(2016年3月撮影)

本の中では「本件に関する膨大な文書記録の展示がある」とのことだったんですけど、正直、文書記録の展示があったかどうか記憶にない。他の展示物が視覚的に強烈過ぎて、そっちの記憶ばっかり残っている。

自分が旅行した時はたしか室内展示は撮影禁止だったような覚えがあるので、自分のクラウドの中に室内の状況がわかる写真は存在しないが、ネットでこの博物館のことを検索するとバンバン室内撮影した画像が出て来て、状況をより明確に思い出し若干具合悪くなったりもしたので、あれはもしかするとあくまで「フラッシュ撮影の禁止」であって撮影の禁止ではなかった(私の誤読)、または、2016年以降にルールが変わったのかもしれません。インターネットにはならずものがいっぱいいる可能性も無いとは言いませんが。

 

mainichi.jp

 

いずれにせよ何とか本を読み終わったので、これを延滞付く前に返す!!!!!!‼!と意気込んだところで、借りたまま延長するだけして忘れていた存在を思い出しました。煉瓦みたいだったので、目の届くところにあっても本だということを認知していなかった。あーあ。

 

*1:デーヴィッド・チャンドラー著、山田寛訳『ポル・ポト 死の監獄S21 クメール・ルージュと大量虐殺』、白揚社、2002年、52ページ

*2:同上、296ページ