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社会人ちゃんの日記

春はあけぼの やうやう強くなりゆく逃走願望

 

「願わくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月の頃」 

 西行法師『山家集

 

「労働という言葉はいつも、堪え難い「労苦と困難」、努力と苦痛、そして結局は、人間の肉体の奇形と結びついていたので、ただ極端な不幸と貧困だけがそのもともとの意味であった。」 

 ハンナ・アレント著 志水速雄訳『人間の条件』ちくま学芸文庫、1994年初版、2022年第四十二版、p.73

 

春 狂う! 朝が一番死にたい。

これまで気温が冷酷だったからか、脳内で常時バックグラウンド再生されていた気候に対する恨み節が消える分、頭の中が異様に静かになってしまって時々意識が困惑する。

 

これには(一個人の感じ方として)カスの業務で、(主観的には)無意味に詰められているように感じるのもあるのかもしれません。

まあ、上司ちゃんが言ってる方向性は、わかる。問題の主眼がよくわからないが。あとそれを「私」に言われても困る お前窓口を間違えていませんか? というのもある。何せこれ定例業務なんで、去年を参考にして進めるって言ってるだろ。上司ちゃんの知ってる契約書とは違うんですよ。と返したところで、何か別の方面からのアプローチが入ってくる。

 

「それ」が労働だって言われてしまえば、そう。無料でこんなこと誰もやらないので、お金を頂いてやらせていただいているんですよね、歯車の方。

誰しも命(ここでは人生の残り時間程度の意味)を削って金に換えている。金は命より重い……‼

 


未明に中途覚醒をして、明日のウェブ会議のリンクをきちんと送れているのかを考える。夜明け前の薄暗い視界には、ゴミが満ちている。たぶん飛蚊症だ。

オフィスに出頭して、白い壁を前に仕事をしていると、半透明のわやわやが視界に一杯になっているような気がする。そういうことが結構ある。

二年前かそこら、オフィスに出頭して視界一杯のわやわやに気が付いた時の私は、これは病気だと思って眼科に行き、眼底検査でどうしても明後日の方向を見ていることができず、呆れ顔の眼医者に励まされたことがある。

 

未明に中途覚醒した今は、黒い糸くずのような虫のような、書き損じをミノムシに擬して誤魔化したようなアレが一杯見える。たぶん飛蚊症だ。雨が降っている音がする。

腕に縫い目があるので毎日入浴をし、患部だけでも清潔に保たないといけない。一方で入浴を怠る独居がパターン化していて、つい縫い目があることを忘れて普通に風呂に入らず寝たりしている。

 

tan8.hatenadiary.jp

 

真髄3に向けてのダイス集め*1や、映画スラムダンクの視聴からのスラムダンク総集編の読書を進めており、これでいて昼間はフルタイムの労働をしている。

水曜日に22時からの28*2をプレイしてからアニメカイジ*3を視聴したりすると、もうこちとら、気分が営業日ではなくなる。

 

しかし、カイジのように鼓膜を破られそうになったりせず、ただ座ってれば良いだけ。座ってれば無能でも金が出る類の座布団付き歯車の席に座っておいて、何が辛いことがあるのか。

 

朝に弱く午前はシンプルに具合が悪いところ、朝っぱらから通話の呼び出し音がフォン♬フォン♬と鳴り響くとともに、未読メールが10件単位で溜まっていくのを見ていっそう具合を悪くしている。頭の中では鬼束ちひろが「月光」を歌っている。

昼休憩になっても食事を取らなくなった。食べる気がしない上、確保しに行くのがかったるくなっている。

 


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午後に予定されていた対外会議対応をしている間は、当座の対応のことしか考えていない(わけのわからないエクセルを触ってもう嫌だと呻いてはいる)が、日が傾いた頃に前提条件を呑み込めない業務に対するご指摘長文メールが来て、何が前提条件がクソ。締め切り二日前だぞこれ。そんな大層な改造をしたいなら、別の時期に時間を取ってやれ。そもそもこれ一週間前ぐらいから確認依頼出してたじゃん。今更? というぐらいの気持ちがむくむくと湧き上がり、このあたりで泣きが入る。

午後の会議対応中から既に「もう嫌だ~」という言葉が口を出ているが、日が傾き始める頃には「・・・・・・!!」と、言葉無く泣いている*4。頭の中では、椎名林檎が「目眩」を歌唱している。

 


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こういった状況下でハンナ・アーレントの『人間の条件』を読もうとしても、遅々として全く読み進まずに貸出期限を迎えつつある。

そもそもこの手の本を読むのがかなり苦手なので、もう最初っからインターネット国語教師(ネット上で作品の粗筋や概説を開陳してくれる存在)に頼っている。ありがとうインターネット。

www.philosophyguides.org

 

私が今時点で読んでいるのは二章のさわりで、本書に触れられた皆さま方に置かれましては、この時点であっマジでこいつ読んでないなというのがおわかりかと思いますが、それはそれとして結構楽しんでいる。

というのも、私個人の主観としては、「生活をするための条件と労働が一蓮托生となっている状態を間違っている」と捉えているので、この著作の序盤で紹介される古代ギリシアの話は、結構しっくりくる。

現代でぼーっと生きているとこの手の考え方に言及されることがあまりないように思っていて、好きな傾向の二次創作をする人間を見つけることが出来たような心地になる*5

 

しっくり来た箇所を以下に抜き書きをします。

 

「どれほどポリスの生活に反対していようとも、ギリシアの哲学者ならだれでも、自由はもっぱら政治的領域に位置し、必然はなによりもまず前政治的現象であって、私的な家族組織に特徴的なものだと考えていた。そして力と暴力がこの領域で正当化されるのは、それらが――たとえば奴隷を支配することによって――必然を克服し、自由となるための唯一の手段であるからだということを当然なことと見ていた。すべての人間は必然に従属しているからこそ、他者にたいして暴力をふるう資格をもつ。つまり、暴力は、世界の自由のために、生命の必然から自分自身を解放する前政治的な行為である。この自由は、ギリシア人が至福eudaimoniaと名付けたものの不可欠の条件であった。この至福というのは、なによりもまず健康と富に依存する客観的な状態である。逆にいえば、貧困あるいは不健康であることは、肉体的必然に従属することを意味し、これに加えて、奴隷であることは、人工の暴力に従属することを意味した。この奴隷状態の二重の「不幸」は、かりに奴隷が現実に主観的には豊かであったとしても、それとはまったく別のものである。このため貧しい自由人は、定期的に保障された仕事よりは、日々変わる労働市場の不安定性のほうをむしろ好んだ。定期的に保障された仕事は、毎日自分が好む通りのことをする自由を制限するから、すでに奴隷的(douleia)と感じられ、多くの家内奴隷の安易な生活よりも、むしろつらく苦痛の多い労働のほうが好まれたのである。」*6

 

アリストテレスが市民の生活を名づけていったような「善き生活」とは、単に普通の生活よりも善く、いっそう楽しく、いっそう高貴な生活であるばかりでなく、普通の生活とはまったく異なった質をもつ生活のことであった。この生活が「善い」のは、それが、赤裸々な生活の必要を支配し、労働と仕事から自由であり、自己の生存のためにすべての生き物が生来必要とするものを克服しており、したがって、もはや生物学的な生命過程に拘束されていないからであった。」*7

 

世の潮流さんがだいぶポストコロナ!ということを言い始めており、出勤の必要性を感じない職場さんでもなんか、出勤しての歓送迎会が嗜まれるようになりましたが、こちとら前述の通り余暇にやることが多くシンプルに嫌なので、体調不良の予定を創出して歓送迎には欠席連絡を入れている。

何なら、降ってくる業務を全部蹴っ飛ばして高飛びしたい。

 

なんてったって、労働のない人生が一番いい。どっかから金湧いてこないかな。

3月とか、赤道付近を旅行するのに最適な時期じゃないですか。それを、書類一枚がお前の人命に上回るとでも言いたげな顰め面で回されてくる書類整理に継ぐ書類整理によって、肉体も精神も時間も、すごい勢いで使い潰されていく。

雇用契約というものがそういう排他的かつ片務的な最恵国待遇に近しいものと見られていることは理解していますが、何につけても、何故こんな目に遭わなければいけないのか。

楽して生きていきたいだけでこちとら運が良かったので職にありついたんですけど、怒涛の締め切りで迫ってくる作業依頼メールや、何とか整理をつけた作業について再整理を依頼(要求)されるメール、社内チャットがけたたましい音を立てて呼び出してくるのを見ると、これから先穏やかな語調で最終目的地がどこにあるのか、わかったところでそれって東京スカイツリーを今から建てろって言ってます? みたいな よくわからん話の相槌を逐一打たにゃならんのかと思うと、すぐに首を括りたくなる。多少己を毀損しても、ここから抜け出す名分が欲しい。

 

だが、抜け出してどうする? 

住まいも電気ガスもインターネットも、生存に当たって、何もかも金がかかる。今私は、身柄を金に替える方策がないから、こうして労働をさせて頂いているんじゃないか。金を貰ってるならそれなりのパフォーマンスを出すべきだという話になり、そんなものを突き詰めたら結局身体の毀損に繋がるだろう。

私の頭の中にいる真面目なやつに「そんなに突き詰めたらお前が大変なんだぞ」ということを言ってみたところで、そいつは白けた顔で「じゃあそんなに嫌ならさっさと辞めて、傷病手当でも貰いに行けば」などと抜かす。私に向かって労働なんだから真面目にやれと諭す仮想敵の私が、私のことになると全く真面目に考えない。まあ企業側の刺客という概念なので、そんなもんだろうなというのはわかる。

 

まず大前提として、「せいかつがさき」で「しごとがあと」というのがあるんですが、せいかつには金が必要であり、金欲しさでしごとをさせて頂いている/してやっているが、勤務時間が長いし振られる量はともかく、兎にも角にもこちらの捌きが悪い。しかしただでさえ削られている数少ない余暇の時間で労働のことなんざ一ミリも考えたくないので、テクを身に着けて業務時間削減!とか、スキルアップして何か別の労働条件に! という発想がない。怠惰に見えるだろうがこちとら切実だ。

今は、今しかない。未来も過去もない。今しかない。

だからといって、この状態で歯車を脱し、歯車の形でお賃金を頂くことをしなくなったあとの生活を考えると怖気づく。手当は無限ではない。私には身柄を保証してくれる相手がいない。家でインターネットがしたい。快適かつ比較的安心の高い生活を続けるには、兎にも角にも、安定した収入が必要だと思う。

 

生命にたいして愛着しすぎれば、それは自由を妨げたし、それこそ奴隷のまぎれもない印であった。したがって勇気はすぐれて政治的な徳となった。*8

 

そういうことなんでしょうか。そういうことなんでしょうか……。

 

*1:去る3月30日に開始された第五人格内のガチャイベント S25真髄3

*2:第五人格のゲームモードのひとつ

*3:逆境無頼カイジ」(2007年10月~2008年4月放送)

*4:コロナ禍の影響による在宅勤務状態であるから多少取り繕えているが、対面ではまず業務どころではないだろう。既に現時点で、業務を遂行するに能わない状態に陥っているのではないか?

*5:人生の大部分を二次創作趣味に浪費しており、あらゆる事柄が二次創作に見えてしまう (参考)このオタク二次創作に10年"持っていかれた"らしいですよ - メーデー!

*6:ハンナ・アレント著 志水速雄訳『人間の条件』ちくま学芸文庫、1994年初版、2022年第四十二版、pp.52-53

*7:同上、pp.57-58

*8:同上、p.57