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社会人ちゃんの日記

35年生きるハムスター(「パラドクス」(2018))

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やっと週末に差し掛かって、今週火曜辺りで気持ちが「終わって」しまって栓を開けた好きな味のワインを飲みながら、またノリで購入してしまい使い切れなかった牛乳を消費するための飯を食べていたらそういう気分になったので、以前Twitterで好きなアカウントが面白かったと言っていた映画「パラドクス」(2018)を見ました。

なお、営業日の夜は何か新しいコンテンツに触れようという積極的な気持ちを持つことが出来ないので、漫然と大河ドラマを見たりゲームをしてダイスを貯めたりしています。業務に気力を使い果たして、業務外の人生を雑に流している。こんなはずではない。生活が先、仕事は後だというのに……

 

 

 

ところで「パラドクス」、Amazon Primeに表示される「あらすじ」とは割と乖離した話なんですけど、この「乖離」についてはもう何を言ってもネタバレになるし、ここにネタバレを書くことによって、これからあの映画をまだ見ていない人間から、筋書きの連なりを理解した時の「💡」を摘み取ることは罪に近いような気がする。

なので、Amazon Primeに加入している方や気になった方は、どうにかして視聴してください。できる限り、ネタバレを見ることなく。

 

※以下「パラドクス」の内容に触れる記述があります。

 

 

 

ストーリーに触れずにネタバレを見ないことが重要であることをどうにか伝えたいあらすじ

 

 

 

↑このタイプの話。

 

冒頭10分ぐらいで(これチェンソーマンのホテル回の元ネタかな)と思ったもののこれ2018年の映画で、チェンソーマンっていつから連載開始したっけ もしかするとチェンソーマンが元にした映画と同じ映画を元の題材に取ってる映画だったりするのかな、と思いながら一通り見て後から調べたんですけど、なんでもチェンソーマンのホテル回の元ネタっぽい映画らしい。

 

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邦題は「パラドクス」なんですけど、原題は「El Incidente」。これを日本語に訳するとすれば、「(あの)出来事」に近いんじゃないかなと思います。

「出来事」というタイトルで売って売れるかというと正直微妙だなというのは、広告に足を踏み入れたことのないズブ素人こと私でもちょっとわかるんですけど、話の筋に則したタイトルと言えば断然そっち。

「出来事」で客が集まらないというのであれば、別案として「インシデント」と訳すことで、財団のことをご存じのオタクを吊ることはできるのではないでしょうか? まあ、「インシデント」というと何となく仕事の気配が漂ってきて魘されそうですが、「パラドクス」よりはまだ、本作のストーリーに絡んでくる言葉なんじゃないかと思っています。こちらはオタク(一人称)の個人的なお気持ちになりますが。

 

 


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隙あらば自分語りですが、

私がこれまで、(明らかにスペイン語圏の映画なんだろうな)と意識して見たことがある映画は今回のパラドクス以外には一本しかない。

 


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大学時代のご友人に映画を物凄い見るタイプの独創性がある方がいらして、彼女から「この映画はあなたにお勧めかもしれない」と言われた当時の私は早速これをTSUTAYAで借りて来て実家のテレビを使って親の前で見出したら、ド迫力のなし崩し性交シーンが始まり、親が映画の話をすると必ず擦る香ばしい思い出の一本になっている。

 

この話の大雑把なあらすじは「母の交通事故死によって精神的に不安定だった娘をなし崩しに犯し発狂させた若い青年をとっ捕まえた整形外科医の父親が、青年に対して全身の整形手術を施し亡き妻そっくりに仕立て上げて屋敷に軟禁している」という筋書きなので、まず物語前半に出てくる女性器整形シーン、そして過去編に出てくる娘への性暴行なのか交渉なのか曖昧なシーン、さらに時系列の後半(物語の前半だったか後半だったかは覚えていない)の、急に屋敷に入ってきた親類による性暴行シーンがあり、画面に肌色を切らすことがない(誇張表現)。彼女は何を思ってこの映画を私に勧めたんでしょうか。

でも最終的には、「極限状態で芽生えたタイプの情はその場限りのものであって、本来あるべきものを妨げて良い筈がないよね」というところに落ち着くので、私はだいぶ好きな筋というか理屈? そういう類の話ではあるんですけれども。

 

スペイン(語圏)の映画

 

「君に大事な話がある、だが思い出せない……」

 

「パラドクス」にはなかなか映像としては極まったシーンがいくつかあるんですけれども、その最中、環境音(或いは無音)をバックに人間同士が会話する場面を見ていて、「私が、生きる肌」を思い出した。

肌の映画は実家のテレビで、私の正気を疑うような目をしている親を横目に、まあ見出したものを途中で止めるのはなんかよくない気がするし、最後まで見るか……という奇妙な意地を張ってしまい通しで見たあの一回きりで、それも結構前のことなので、細かな会話というものはもう覚えていないんですけれども、ド迫力黒モザイクと共に腰を動かしくんずほぐれつの状態になりながらなんか、「車はどこに停めたのか」というような、場面を抜きにすればいたってまともに聞こえる会話をしている場面を思い出したりした。

それで、なんか異様だな、と思った。

環境音か無音をバックに人間に何気ない会話をさせるという様式が、スペイン語圏の映画ではよくあるのか、或いは、一定以下の予算の映画ではそういうことをするのが様式美というものなのかは、雑に映画を見ている私にはよくわからないことではあるんですけれども、

それでも、スペイン語圏の異様な映画(2本しか見ていないが)に見られる静かな会話と、記憶にある限りは英語圏発の低予算ゾンビ映画の会話は、明らかに趣が違う、と思う。

 

低予算ゾンビ映画の会話はだいたい役者の顔をアップにして、何故かヒステリックに、そして妙に説明的な口調か、「普段生きててそんな言い回しするか?」という言葉を使って言い合いをしているイメージがある*1

一方、これまで私が見たスペイン語圏の映画は、「まあこれぐらいなら日常生きていて使わんでもないな……」という程度の言い回しを、異様な状況で使ってくるので、妙に印象に残っています。

 

これで、(スペインの映画ってもしかすると独特な雰囲気があるのかな)、とか思いながら見終わって調べて気付いたし、そもそもこの映画を見るきっかけになったツイートにも明記されていたんですけど、「パラドクス」はメキシコ産の映画でした。だからスペイン語圏の映画という丸め方をしています。

 

ハムスター

この映画はクローズドな空間を主テーマにした話(婉曲表現)だからだと思うんですけれども、おそらく話の展開を象徴するものとしてハムスターが出演します。可愛いゴールデンハムスター。そして、そのハムスターの死が明確に描写されることはない。っていうか、たぶん死んでいない。

あの空間、物品はおそらく日替わりで無限に供給される一方、人間の死は不可逆と規定されているんですけれども、ハムスター(人間ではない生物)はどういう扱いなんでしょうか? 

作中に示される「ルール」に則って考えれば、あの場で重要なのは「人間の」肉体と感情の酷使ですし、ハムスターはおそらく「ストーリーの象徴」としての存在に過ぎないので、「わざわざ殺す必要がない」んですけど、例えばあの空間の中で物品と同じように1日ごとに日替わりで無限に命が供給され、発狂し老いて死んでいく人間を後目に、結構元気に生き続けるハムスターのことを考えると、作品の趣旨とは全く外れたところで少し愉快になった。ハムスター、35年生きてくれ。

 

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