これはたとえ話ですが、
脳内にマルチタスク管理画面があって、今逼迫タスクでメインの画面は真っ赤っかなんですけど、この横の隅の方に、積んじゃヤバイタスクが積まれているのが見える。
そうは言っても、これを実行段階にスワイプして持ってくるには複数人の確認が必要で、横目で見るに八面六臂状態の多忙管理職に、これを全部見ろと投げるには如何せんボリューミィなファイルなので、確認以前の段階として「どこを見てもらうか」を決める必要があり、そんなもん誰が決めるんですか、この選定ミスったら誰がどうなるんですか? みたいな状態、今。
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テレワークが認められているので作業をしながらそれとなく音楽を流しており、定時が近くなって辛くなってくると、これに合わせて歌い始める。
タスク消化のために他人に確認してもらわないといけないが、他人への確認範囲をこちらで決めないといけないらしい歌。おおそれでこの確認漏れがあったら誰が詰められるんですかの歌。
社会ってデカいままごとだと思ってるので、ゆうていざとなったら全部放り出して退職代行を雇おう。この退職代行を雇うにも、金が必要。金! 地獄の沙汰も金。労働の対価として、金を得ている。労働をせずに金を得たい。
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楽しかった週末の記憶*1を寄せ集めて労働によるメンタルダメージを癒そうにも、「結局それって金が入用ですよね」というところに到達してしまって、「労働しないために」「労働の産物である金が必要にならないように」という流れで「死!」がポップアップしてくる。
死のポップアップストアがフランクに開かれる脳内原宿駅からまっすぐのびる脳内竹下通りには、鯨幕がずらっと掛けられている。
これまでの人生で竹下通りには3回行ったことがあるかないかぐらいで、イメージはだいぶぼんやりとしている。
なにか、楽しいことを考えましょう!
しかし「いくばくかの楽しい記憶」と「週五労働によって気分最悪」なのは、全く階層が違う問題だ。
そもそも、これは体調管理という言葉にも似たような苛立ちを感じますが、自分の機嫌なんて、自分で取り切れるものなのか?
「他人に当たり散らすな」というのはそう。他人のご機嫌取りは仕事に含まれていない。タスクと絡めて他人に気持ちよくしてもらってはいけない。
感情とタスクは切り離して考えるもので、感情によってタスクで絡みのある他人の生産性を落とすべきではない。
労働によってただでさえ尊厳を貶められているのだから、せめて人間として、タスクの渦中にいる人間たちを人間らしく尊んで扱うべきだ。ましてそれが、共同で回る歯車であるのならば。
しかし、これは体質に近しいものとして存在する、生まれ持った「気質」の変更が容易くできるものなのか。
体調管理でできることって精々、「職場でぶっ倒れたり集団感染を起こさないようにする」ぐらいですし、これと同じことで、自分のご機嫌取りの範疇でできることって、精々が、「他人に当たり散らさないよう自分の状態を把握する」こと。
内訳を具体化すると、「今この瞬間に話しかけられたら「来る」タイミングで、すかさず離席すること」*2。キャパが終わっている者としてはこれに尽きる。
この点では、リモートできるワーク(職種)で良かった、と思う。
だってこれでもし連日出勤してたら、メッセージアプリの通知で叫ぶキャパの狭さでオフィス嗚咽3時間コース始まってたってことですし、午後になると歌いながら助けを求めてる。定時が近くなると腹も鳴るし独り言も増える(特に「数を数える」タイプの作業は、黙読なんかでやったら10割出戻りが発生する)。
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こうなると、私が溜めている業務だって可哀想だ。
もっと上手い人によって、華麗に遂行されたかったよね。という気持ちにもなる。
これは、趣味の二次創作同人を哀れんでいるときの気持ちと似ている。
私には二次創作小説をする趣味があるが、二次創作小説なんて趣味の極北、まともな人間であれば、「〇〇さん(信頼する任意のオタク)がいいっていうなら」みたいな口コミがないと、まず読まれるものではないと思って間違いがない。これはジャンルの大小であまり変化はない(主観)。
嗚呼可哀想な私の二次妄想。
二次創作なんだから原典を見て同じような妄想をする人間は多かれ少なかれ居るはずで、この妄想を二次創作してしまったのが私でなければ、もっと多くの人間の目に触れたんじゃないか?
豊かな人間になりたい。
絵を描くことでジャンルのユーザーを増やせるみたいな、絵がめっちゃ上手いオタクとか、なんか働かなくてもどうにかなる豊かな財源がある身分とか、欲しい。
そこまで行かずとも、逼迫した状態で瀕死のカエルの腹みたいな顔色にならないキャパシティ、オタクとコミュニケーションして自分の妄想を他人に植え付ける能力。そういうのが欲しい。
そうか?
だって、「逼迫した状況の中涼しい顔で業務できるようになりたいか」っていうとそうでもないですし、「自分好みの妄想こねくり回してもらうため」にオタクとコミュニケーションするというのは、やや不誠実ではないか。
結局、現状をどうにかしたいと思ってないんですね。
だって現状の方が間違ってるのであって、私には特段訂正すべき程の非はないと思っている。
これをどうにかしないと業務が回らないし、お前は一生孤立異常二次オタク*3なんでしょうけど、別にいいじゃん。
通常と比較してキャパがないというのはそうですが、それでも自分は間違っていないという「わかり」があり、このわかりを手放すぐらいであれば、いっそ苦しいままでいい。
第一宝くじが当たってくれれば、業務キャパ(笑)とかいう話はもうすべて解決するのでしょうし。頼む!
*1:焼き肉を食べたり大河ドラマの最終回を見たり、後はサンプルを読んでから長らく結末を楽しみにしていた同人誌を読み、美しい涙を流したりしていた。
*2:本来は「来」ないのが理想。しかし、ここで「来」ないように、つまり、「キャパをオーバーした瞬間フリーズしたり、これに伴って予期しない挙動をしない」ことが、どれほど意識によってコントロールすることが出来るものなのか(それがやって出来たらそもそも「来」てないんだよ)という趣旨です。
*3:「二次創作をするオタク同士のコミュニティ(界隈)への所属、ないし両者で褒め合うことによるモチベーション維持(相互扶助)を行わないまま二次創作をやり続けるオタク」を指します。