tanpa

社会人ちゃんの日記

「イニシェリン島の精霊」(2022)

ra927rita1.hatenablog.jp

 

旅行の記録上では緑島から帰ってきていないんですが、あれから二回台湾へ旅行に行っていて、こいつ(自分)……さては南の島が大好きだな?ということにようやく気付きつつある。

南の国のフルーツが大好き。でっかくてやわらかくて甘くて、そうでなくともなんか、目新しい形をしているから。

飛行機内で映画を見ることも好き。サブスク映画サービス程充実している訳でもない丁度いい作品数の中に、日頃日本語圏のインターネットを徘徊していて見ることのない異国の話題作が混じっているから。

 

旅行の帰りに「イニシェリン島の精霊」を見ました。これは日本語圏インターネットでも封切りの時に話題になった映画で、Amazonプライムでも確か配信されている気がして、ことあるごとに見よう見ようと思っていましたが、何だかんだ見ていなかった。

 

アイルランドの孤島で暮らす男二人、ある日急に仲たがいをしてしまい……」というあらすじは知っていたので、視聴によって何かしら過去が明かされるタイプの話なんだろうなと思っていた。

 

※以下「イニシェリン島の精霊」(2022)のストーリーネタバレを含みます。

 

 

 

別にそういうことはなかった。

二人の過去について一切触れられないということはありませんが、「パードリック(主人公)が何かをしてしまったから、あらすじに記載のように絶縁を切り出された」のではなく、強いて言えば「コルム(親友)の堪忍袋の緒が切れたから絶縁宣言をされた」という方が正しい。

それに堪忍袋の緒が切れたといっても、「(視聴者側の視点から見て)パードリックに我慢ならないところがあった」という訳ではなく、コルムの堪忍袋がなんか勝手に切れた(パードリックに非があるという程のことは何もない)という感じである。

老人コルムは残り少ない人生の時間でより有意義なことをやりたいので、くそつまらん話をべらべらしゃべくって時間を浪費するパードリックとはこれ以上付き合っていられないので絶縁する、というところを、彼は物語の冒頭で省略して「お前とは二度と口を聞かない」という感じで伝えるので、物語序盤~中盤にパードリックは右往左往することになる。最初から言ってやれ。

 

とはいえ、これを言ったところでどうなるという訳でもない。

「俺の残り少ない人生でお前に掛ける時間はもうない」と言ったところで、舞台は田舎であって娯楽は数少ない。男連中は毎日パブに通ってくるので、コルムがパードリックとはあくまで口を聞かない態度を取ると周りも気まずくなり、こういった扱いをされる覚えのないパードリックに向かって「お前、何かした?」「謝ったら?」みたいな質問を寄越して来るし、酒場の雰囲気が妙になってしまう。しかし酒場に行きたくないからと家に居座っても、妹に文句を言われるのでパードリックはコルムとの復縁を頑張ろうとするものの、中盤でコルム側の事情(俺の人生は残り少ないので、お前のくそつまらん話を聞いてる訳にはいかない)が明かされると、「じゃあ俺はどうすればいいんだ」ということになるし、コルム側も極端で「今後お前が俺に話し掛けてくる度に、俺は指を切り落としてお前に届ける」という自傷の脅しをかけてくる。

どうしたって隔絶された地理空間に位置し構成員の少ない共同体内では娯楽が少ないので、男連中は毎日パブに来るしコルムはそこで上手くやってる。なので彼に無視されるパードリックは、自然と居た堪れない立ち位置になるし、なんか機内食を食べている間に知らんけど駐在にも殴り倒されている。

物語中盤、コルムと一緒に音楽活動をしている都会から来た音楽家?にパードリックが嘘の訃報を吹き込んで彼の音楽活動を妨害するシーンがあり、コルムと絶縁された後のパードリックが時折つるんでいる青年(村でおおいばりしている駐在の父親?からDVを受けている)はそれを知って「お前はいいやつだと思ってたのに失望した」というニュアンスのことを言い離れて行きますが、話の面白くない彼が美徳として持っていたとされるこの「やさしさ」を損なったのは、間違いなくコルムの身勝手な振る舞いによるものと言えるでしょう。しかし、話がクソつまらないことは、生活の基盤である村社会においてあそこまで立場を悪くし、実質村八分にされるような、そこまで悪いことなのか? 

コルムにとってはそうだろう。老人である彼に残り時間が少なく、少ない残り時間で、世界に対して己の人生の爪痕を残したいとたくらんでいる。そんな思惑がある中、つまらない話で付き纏ってきて余命を削って来る無能な友人とか、存在が罪だろ、というのも、まあ、わからなくはない。

これも物語中盤、無視され通したことにいきり立った酩酊パートリックと酒場で言い合いになったコルムは、「17世紀の音楽家モーツァルトはその才能で死後200年もその名を歴史に刻んでいる!」「確かにお前は優しいが、その優しさをお前が死んだあと、誰が覚えていてくれる?」というような演説を打つんですけど、ここで酔っぱらって大騒ぎした兄を回収に来た妹シボーンは、去り際にコルムに対し詫びつつ、モーツァルトは18世紀の人よ」と言って、彼の演説をささやかに訂正する。

見たところ20代後半~40代程の年頃ながら未婚で兄と共に暮らすシボーンは、娯楽が少なく郵便局を兼ねた雑貨屋のババアが手紙を勝手に盗み見たり駐在のジジイが何かと警察であることを鼻にかけてやれ荷物を見せろ何しろとぎゃあぎゃあふんぞりかえっているものがのさばっている島の状態に絶望しており、作中では入水自殺を試みるシーンがありますが、彼女は最終的に(確か)ロンドンでの司書の職を得て島を出る。

 

島の中ではご意見番風の扱いを受けているものの、老境に至るまで島から外に出たり、外部から何らか評価を受けたりということをしていないように見えるコルムも、彼女から見ればパードリックと同じようなところで、精々ドングリの背比べにしか見えないだろう。

作中で彼女の台詞としてそういったものは確か無いと思いますが、彼女のような外部に出ていける程才と運のあったものの視点からすると、少なくとも純朴で善人らしいパドリックの幸福を害し、あろうことか自傷の脅しなんかを掛けてくるコルムの振る舞いは、老境に際して己の才能に真摯で切実であるよりも、異常で独善的に見える。

 

じゃあ、老い先短いコルムに言えるんですか?「お前は自分が音楽で大成できるようなことを思い込んでいるようだが、お前だってここから出られない程度にしょうもないまま田舎の島で長々燻ってるんだから、どうせならくたばるまで善き隣人としてお喋りに興じていろよ」と

 

 

比較的孤立した環境で少数の人間が生活をしているのが悪い。

これがイニシェリン島の精霊ではなくダブリンやベルファスト、或いはロンドン辺りの精霊であれば*1、冒頭のようにパードリックがコルムの家まで来て「飲み行こうぜ!」というところまでは起こり得るかもしれないが、パードリックは村八分のような状況に追い込まれる訳でもなく、ただ通う酒場を変えるか、酒場以外にも娯楽はあるので、フェードアウトして交流が終わるだけの話だろう。村八分になった挙句争いがエスカレートすることはない。場所が悪い。

かといってそこに生まれついているからには、そこから外に出て「よそもの」として身を立てるには、何かしらの有能さを持ち評価される必要がある。遠くに行けるのは天才だけだということだろう。しかし場所や才能に関係なく、生まれてから一定期間経つと人間は死ぬ。死ぬ前に何かを成したいというコルムの気持ちは十分にわかるし、才能の有無によって挑戦は制限されるべきではない。

時間が惜しいところクソつまんない話で余命を削って来るのは罪のように見えるかもしれませんが、だからといってパードリックは作中後半で畳みかけてくるような罰を受ける程のことはしていない。彼の無垢が歪んだのは、コルムがパードリックの幸福を独善的な態度で毀損したからです。じゃあ言えるんですか? コルムに。「その年になるまで島に居続けるような才能なんか大したことないんだから、死ぬまでの間ぐらい善き隣人で居続けろ」と……

 

 

 

綺麗な詰み将棋を見ているみたいで良かったなと思った。

何度考えても状況を打開する一手が思いつかない。「ここをこうすればどうにかなったのでは」とか、無い。最初の条件からして詰んでいる。

 

視聴して着陸した後、この映画の感想を検索したら、「これはアイルランド独立戦争期を舞台にしており、大きな争いをしているのを横目に個人間の小さな争いを執拗に描いているブラックコメディ」だとか、「この個人間の争いが全ての争いに通じるものである」というような解説があった。

他人の感想を検索している時に確かどこかのサイト記事かブログで「パードリックの「善良」さは絶対的なものではなく妹の献身によって成り立っていたものであって、そこに自覚がないからパードリックは物語後半で孤独の罰を受ける」というようなものがあった気がしますが、それは筋違いのように思う。

何せそもそもパードリックは「絶対に善良な人物」や「思慮深く善良な人物」としては描かれていない。自分がクソつまらん話をして他人の時間を削っているなんて考えもしないし、自分の存在がともすれば妹を島に縛り付けているかもしれないなんて考えたこともないだろう。シボーンが入水自殺を試みる程絶望していることも、おそらく思い至ったことがない。彼は確かに他人を侵害している。しかし、そこにはコルムの音楽仲間に嘘を教えた時のような悪意はない。

さらにパードリックは物語の後半で島を離れる妹に対する妨害行動をするわけではなく、船に乗って出ていく妹を手を振って見送っている。イギリスで女性参政権が認められたのは1918年ですが、この時の選挙権は男性の選挙権が21歳からのところ女性は30歳からで年齢制限に差があり、この差が解消されるのは1928年の選挙法改正によるものです。

法がある程度整備された現在においても女性に対する差別的な扱いはまだ残存しているところ、100年前の話でここで快く送り出してやれるのは凄い。確かにパードリックは思慮深くはないが、悪意の持ち合わせがあるようないわゆる「悪いやつ」ではなく、良くも悪くも無垢なキャラクターとして描かれているのだろうと思う。

 

だからこそ、物語の後半は「偶然という形で神が与えた罰」というよりは、「個人間の衝突が取り返しのつかないところまでエスカレーションを起こしていくある種の喜劇らしさ」と取る方が文脈に沿って妥当なのではないかな、と思いました。

 

*1:タイトルの「精霊」は恐らく作中に現れる死を予言する老婆を指しているだろうという想像が着く。そう言った伝承的な空間が色濃く残っている風土が舞台なのだろうとも想像は着くので、場所を都市にしたらそもそも精霊は現れないし話が成り立たないだろうというのは理解している。